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分科会報告・田中容子レポート「生徒が学びの主人公になるために」(by藤川) [通信原稿]

 最終日は京都高生研の田中容子さんの問題別分科会「生徒が学びの主人公になるために」に参加しました。田中さんとは1991年の京都・滋賀大会で初めてお会いしました。その時お聞きしたクラス創りや授業創りの素晴らしさに感動し、早速翌年1月の熊本高生研県大会に講師としてお呼びして以来、たしか都合3回熊本で講演して戴きました(これは竹内先生と並ぶ最多回数です)。私はこの20年田中さんが全国大会でレポートされる度に分科会に参加している、いわば田中実践ウォッチャーなのですが、そのたびごとに実践の深化に目を見張らされています。
 
 今回も、ある英語選択講座では、わずか6名しか生徒がいなかったにもかかわらず、当初は全員が寝てしまって授業が成立しない状況だったのが、田中先生が生徒への聴き取りから「実際の行動の中での学習」が有効ではないかと考え、(1)英語だけを使って協力してホットケーキを焼く(2)英語だけを使ってトランプゲームをする(3)生徒が英語だけを使って担当者に自分の紹介をするという課題を設定し、実行したところ、会話がたどたどしくも交わされる場となって、寝る生徒はいなくなったという田中さんらしい実践になるほどとうなずきました。

 今回の報告では、以上のような生徒との生き生きした応答とともに、英語の先生たちが協同して創りあげてきたきた緻密なワークシートが紹介されました。この教師たちの協同、そして生徒たちの「学習の共同」を生み出す取り組みを、ぜひ全国の教師の皆さんに学んでほしいと思いました。
(つづく)
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分科会報告[午前]早川レポート[午後]吉田レポート(by藤川) [通信原稿]

早川さん(静岡)のレポートは2学期から学校を休みがちになり、「学校を辞めたい」と言い出し、3学期にはついに学校をやめてしまった「Мくんのこと」です。

 1年生の担任をすれば必ずと言っていいほどМくんのような生徒に出会います。なぜ学校を辞めたいのか?辞めたいという本人にさえその理由がはっきりしない場合があります。

 私は自分が担任だったら何をするだろうと考えました。その結果2つのことが思い浮かびました。一つは他の生徒が気付かないうちにМくんが教室からすうーっと消えてしまったというようなことが無いようにしたい。クラスの生徒にМくんのことを考えてほしいということです。
 早川さんは、11月のLHRの時間に「Мくんが最近学校に来ていないが、みんなは彼が学校に来られない理由は何だと思っているのか?」と生徒たちに問いかけ、話し合いを求めます。

 2つ目は、定時制の場合本人のやる気があれば、再挑戦が可能であることをその生徒に丁寧に説明をするということです。定時制の入試は実質全入ですから入試を受けても再入学できるし、行動面で一旦学校を辞めなければならなくなった先輩達の中には、一念発起して該当学年に復学し卒業した者もいることを知らせるでしょう。
 割と知られていないようですが、全ての高校に一旦途中で辞めた生徒も、該当学年に復帰することが出来るという規定があるはずですが、残念ながら現実には運用されていないようです。

 午後の部は、我が熊本高生研のホープ吉田さんの「地域の力で1000人バーベキュー」の報告です。
 さすがベテランらしい堂々たる報告です。論議の中でなるほどと思った指摘は、生徒の要求をどう育て、どう組織化していくかを明らかにすることと、例えば3月の年間反省の職員会議で生徒会の優れた活動を大いにアピールしようという2つでした。

 酒田実践のように菊池高校でも「生徒会予算の編成と出納を生徒に任せ」る端緒が出来てきたら、2年後位の全国大会で一応の完成形の実践報告をして欲しいなと思いました。

 夜は全生研の皆さんとのコラボです。なんと全生研180名、高生研90名の参加、大盛況でした。特に小学校の先生方はゼロトーレランス(寛容さを認めない指導方針)の下にある厳しい状況の高校の実態に非常に驚かれたことと思います。その意味では交流の成果があったのではないでしょうか。
(つづく)
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いよいよ全国高生研京都大会の始まり始まり(藤川) [通信原稿]

 1時から全体集会。開会行事は京都の「若いちから」が結集された力強い、見る者を感動させるあでやかなひとときでした。
 
 今年は講演はなく、望月さんを中心とした理論・実践研究グループが練りに練った基調発題がたっぷり3時間ありました。酒田さん・関谷さんの発題は刺激的かつ分かりやすい中身でした。

 途中でグループ分けしての話し合いです。私のグループには弘前大の学生さんが5名くらいいました。その論議を聞いていますと、積極的に意見を出す女子学生がいました。冗談半分に「京都大会参加記念発言してみませんか。」と言ったりしているうちに、彼女の発言は的確なものとわかり始めました。そこで「あなたの意見は的を得てるし、ホントせっかくの機会だから、発言したら」と促すと、なんと手を挙げて、堂々と発言したのです。しかもその内容は学生さんとは思えないセンスのいいものでした。会場からは万雷の拍手です。

 このことで私は痛感しました。ベテランの会員は自分の意見を発表するのも大事なことですが、それと同時に周りにいる若い人たちの発言を促すというのも大事な役割ではないかと。

 夜は交流会です。私は「基調を深める交流会」に参加したいと思いましたが、なんと今年は定員18名がたちまち埋まって満員札止めの大盛況です。おそらく30名くらいの希望者がいたのではないでしょうか。私はかろうじて定員の中の一人でしたが、吉田先生も希望されていましたので若い人にいさぎよく譲りました。

 となるとあとの時間をどう過ごすかです。こういう時は必ず救う神がいるんですね。S氏をはじめ大阪高生研の3名と和歌山大学のH氏と都合5名で交流会後の懇親会まで飲もうということになりました。それからの2時間は大阪高生研の座談の名手3名の独壇場でした。私が口を挟む間もなくにぎやかに座が進みます。大阪高生研恐るべし!
 結局8時半からの正式な懇親会を含めてたっぷり4時間楽しい談論風発の時間を過ごすことが出来ました。これぞ高生研全国大会の醍醐味ですな。(つづく)
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京都の夏はアツかった~問題別第5分科会「教育実践記録を『読む』」に参加して~(今田) [通信原稿]

 京都滞在17時間という弾丸ツアーであったが、行って良かったと素直に思えた。
 
 8月4日(日)21時に京都駅に到着し、共同報告者の白石先生、分科会司会の久田先生と翌日の進め方を打ち合わせた。すでに大会2日間を過ごし、夜の全生研とのコラボ企画帰りのお二人は饒舌で、熱く知的な話が、打ち合わせをした喫茶店の閉店時間22時まで繰り広げられた。その間あっという間。その話を聞いているだけで知的好奇心がくすぐられてワクワクした。お二人はまだまだいくらでもしゃべれそうな様子だったが、翌日に備えてそこで解散。
 
 翌日8時に会場入りすると、スタッフの打ち合わせ中。今回は学生スタッフが約40名集まり、202人の参加者のうち、20代以下の参加者が約60名だったとか。それだけでもエネルギーを感じた。

 第5分科会の参加者は我々3人以外は12人。4人ずつの3班に分けての班討議が行われた。
 焦点は、私の実践に対する白石先生の分析が妥当かどうか。

Q主人公は誰か
 
 白石先生はN先生や私など、「追い込まれている教師(たち)」とされたが、私とクラスメイトとの間で苦悩する学級委員長のH男や、「謝っても何もならん。」とHRの問題点をズバッと付いたA子なども主人公になりうるのではないか、という意見が出た。
 確かにその通りで、私も実践を書くときに誰を主人公にしようか迷い(A子にしようかとも思ったが)、決め切れずにただ事件を時系列に書いただけになってしまった。実践記録には書いていないA子やH男が抱えているものを最後の感想で私が述べると、白石先生は「え~、全然知らなかった。分析で聞きこんでいく中でこういうことが出てくるのが面白いんです。」と結ばれた。私も、記録に書いていなかったことが引き出されて(聞いてもらえて)嬉しかった。

Qクライマックスはどこか
 
 白石先生は「(実践記録を)物語として読むべき」と言われた。(常にそう読むべきかという意見は出たが) 物語には山場があり、クライマックスがある。ならば私の実践でのそれはどこなのか。白石先生は、私が生徒の不満の声に気付いた時(こと)とされ私もその気でいたが、大阪の藤田さんは「H男とS男が私に相談に来た場面」であり、「この事件(英語事件も遅刻事件も)は何も決着していない。すなわち生徒の成長のチャンスをうやむやに終わらせてしまい、この実践は失敗である。」というようなことを言われた。

 この発言にも納得。なぜなら、私自身、英語事件や遅刻事件がうまく解決できたとは思えず、これをどう解決すればよかったのかを分析してほしくてこの実践記録を書いたからだ。
 他にも、「これはHR討議ではない」や、最後に書いたU子の「そんなこと考える余裕がないです。今の自分のことで精一杯です。」の発言を「自分のことで精一杯で余裕がないから周りを見ないようにしている、その場しのぎで生きているから先の見通しを立てられず同じ失敗を繰り返すんだ」と私が受け止めたことを、「これではこの先発展がない。(残念)」というような指摘(U子の勇気ある発言をもっと取り上げて議論の契機にするべきという指摘)もあり、「さすが全国」と胸がすく思いだった。なぜなら、自分が気付かなかった(気づけなった)新たな視点に出会えて嬉しかったからである。

 これが全国大会に参加する醍醐味であろう。全日程参加できずに、本当に残念であった。

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全国フォーラム(2013.5.11~5.12、於京都)報告 白石 [通信原稿]

1.京都大会について

(1)大会担当と現地実行委員の共同運営によって、小人数でもコンパクトに大会を企画・運営できる方式を考案している。「地元のメンバーが最低5人いれば開催できる全国大会」(大会運営体制)という発想は貴重である。

(2)基調発題の論調については、「状況分析」か、「実践指針」か、「実践記録」か、基調「報告」、基調「提案」、基調「発題」か、その性格規定のちがいによって、書く内容や形式も変わってくる。今後、議論を続ける。

(3)コラボ企画は、全生研との共同企画である。「貧困と格差のなかの子どもたち」「荒れ・問題行動・いじめに向き合う」「生きづらさをかかえた子ども・若者の声を聞く」の3分科会。それぞれ100名程度、10人の班編成。
さまざまの学校、いろいろな年代の教師が、自由に語り合い、意見交換し合う場をつくりたい。この場に参加することで、全国レベルの活力を体感するとともに、実践の悩みや課題を自由に語れる教員サークルの居場所感を経験してもらいたい。
 高校教師や若手教師は、このコラボを窓口にして、サークルへの敷居を低くしてほしいし、会員拡大の手がかりとしたい。

(4)分科会については、応募本数がもう少し増えればいい。タイムリーな企画の観点(たとえば、憲法は)も必要である。

(5)今後の大会担当の予定については、14年度、15年度の予定は進行中である。しかし、高生研の活動を将来へつなげるために、ここ数年が正念場となる。

2.公開講座「ケアの倫理からグローバルな社会へ」 岡野八代(同志社大学、政治学)

 政治学、国家論の立場からいえば、「独立した個人」が契約を交わして社会を製作してきたことになる。しかし、この独立した個人こそが、虚構の産物であった。現実に存在する人間は、「傷つきやすい」存在であり、「ケア」されるべき存在であり、「依存し合う」存在であり、「他者性」をそなえた存在である。そのために、ケアの倫理を導入する必要があり、そこから非暴力の発想も生まれる。岡野の主張を、強引に要約すれば、上記のようになる。

 いま、教育の領域においても、ケアを積極的に語る人もいるし、「全生研大会の基調報告」においても「ケア」について述べられている。問題はケアの「倫理」ではなく、ケア「論理」なのである。何がケアであり、何がケアでないのか、ケアという用語を使わないと見えないものは何か、ケアという営みの特質は何か、ケアの論理こそが難問である。
 
 私は、ケアを安易に使うこと対しては疑問をもっており、ケアについては慎重に議論したいと考えていることだけを述べておく。

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「学びを取り戻す」 熊本工業高校定時制 藤川 秀一 [通信原稿]

 熊本工業高校定時制に赴任して1年余り。2月の4年生卒業試験現代社会で以下の設問をした。生徒たちの文章から、彼らが学び(いわゆる知識の獲得だけでなく、教室空間での人間関係形成も含めて)を取り戻す様子が浮かび上がってくる。そこから定時制教育の豊かさと可能性を読み取ることができるのではないだろうか。

Q小学校・中学校・高校での学習(授業を中心に)を振り返り、それぞれの時期での あなたの学習の様子を述べてください。また自分の学習に関するちからは、どの時が一番伸びたと思うか具体例をあげて説明して下さい。

(原文のまま)
[機械科4年]
【A】
小学校:勉強ををまともにしてません。

中学校:授業中も音楽をきいたり友達と話したりねてたりしてました。

高校:高校でやっと勉強をはじめました。

[具体例]
 小学校・中学校は学校に行くだけで学年が上がれたので、そんなに勉強のことを気にしてませんでした。でも高校になったらちゃんと勉強をしないとしんきゅうができなくなるからちゃんと勉強をはじめました。

【B】
小学校:まともに、学校にすら行ってませんでした。

中学校:学校にいても勉強という勉強はせずに、マジメに授業を受けていませんでした。

高校:マジメに授業を受けていたと思う。

[具体例]
 自分は学習に関してだけでなく、他の事も高校に入ってからが一番伸びたと思います。それまで学校にまともに行かず勉強という勉強をしていなかった自分が高校に入ってからは心を入れかえて、マジメに授業を受けたところ、それまでは考えられないようないい点数をとれるようになりました。

【C】
小学校:まじめにうけていました。しゃべらずに先生にあたえられた課題をこなしていました。

中学校:まったく学校に行かずに遊んでました。たまに学校に行ったとしても机の上で寝てました。

高校:初めの2年間はたまにさぼってましたが、後の2年はがんばって全部いきました。

【D】
小学校:1、2,3年生までは学校に行き、4,5,6年からは行かなくなった。

中学校:中学もほとんど行かなかった。

高校:ほとんど休まないで今まで来た。一番のびた。

[具体例]
 学校に来ること、授業をうける事が、今までとは全然違い勉強をすることでのびた。

【E】
小学校:普通に授業を受けていた。

中学校:あまり授業を受けてなかった。

高校:普通に授業を受けていた。

[具体例]熊定に入った時、赤点になるのが嫌だったから勉強した。

[電気科4年]
【F】
小学校: 小学校の時は普通に授業を受けて普通に理解できていたと思います。小学校の授業はちゃんと聞いていれば理解することができていました。

中学校:中学時代はほとんど学校に行ってなくて、家庭でも自分で勉強することはありませんでした。だから、たまに授業を受けても内容が理解できていませんでした。

高校:高校に入ってからは、先生がしっかりと中学でならうような基礎を教えてくれていたので、中学でのおくれを取りもどせました。

[具体例]
 私は、高校に入ってからが一番勉強に対する力がついたと思います。高校一年生の時には平均的な点数がとれるようになり、それから高い点数をとって、自分はやれば出来るんだと思えるようになりました。それからは高い点を取らないと気が済まなくなり、勉強って楽しいんだなと思えるようになっていきました。

【G】
小学校:問題を理解していくことが楽しく、自分から進んで学習に取り組んでいたと思う。

中学校:理解することが難しくなってきて、なかなか勉強することがなかった。

高校:専門的な勉強は入学してすぐの時期は頑張っていた。

[具体例]
 高校に入学した一年目、中学の時に勉強してなかった分、少しは取り戻そうと努力した。

【H】
小学校:正直、小学生の時自分が真面目に勉強していたかどうか、あまり覚えていません。たぶん授業中は寝てばかりいました。

中学校:中学校では数学とか英語が出てきて理解できず、全然授業についていけませんでした。

高校:高校は赤点があるから低い点数を取らない様に真面目に授業に取り組んできました。

[具体例]
自分は高校で学力が一気に伸びたと思います。中学の時は、高校に行ければどこでもよいと思っていたけど、高校生になって行きたい大学を見つけたので合格できるように沢山勉強しました。

【I】
小学校:小学校のころは、まだ勉強もそこそこできました。でも普通の人たちにくらべ ると元気はよくやんちゃでした。

中学校:中学校では、学校の友達も変わり、勉強はほったらかしで遊びまわっていました。授業にもあまり出ず勉強なんてまったくわかりません。でも一つだけマジメにしていたことは、部活の柔道でした。おかげで1年半くらいで黒帯をとりました。

高校:高校は2回目ですが、勉強はやっぱり身につきません。いまさら勉強してもという気にどうしてもなってしまうからです。でも自分なりに頑張っているつもりです。

[具体例]
一番伸びたと思うのは、一番学校に行っていなかったけど、中学校の時だと思います。それはやり始めるとけっこうすぐに覚えたり身に付いたりしたので、勉強だけでなくスポーツとかも、なのでそう思う。

【J】
小学校:一番真面目に授業を受けていた時期だと思う。

中学校:不真面目で勉強なんてほとんどしていなかったと思う。

高校:一度熊定を辞め、二度目の入学からやっと今。なんだかんだがんばれたと思う。

[具体例]
小学生の時は、部活をしながら毎日ノート1ページ漢字を書いたりなど一番がんばったし、伸びた時期だと思う。

【感想】
 「定時制高校で、学びが取り戻せた」、という話はおもしろいと思います。
 中学校までは、「相手にされなかった」けど、定時制高校では「生きるため、働くための力をつけてくれる」、「それも一人一人のスピードの応じて」といった感じでしょうか。
 総じて、人としてきちんと対応してもらえた、という実感があるのでしょうか。
 このあたり、生徒との具体的な「こゆい」対話をふまえて、聞かせてもらえると有益だと思います。(白石)


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生活指導に必要なこと(白石陽一『高校生活指導190号』 [通信原稿]

 悩みや憤りを行動に移すには、やはり「溜め」が必要である。
 力を発揮するためには、条件や道筋を知ることが必要であり、そのための仲間の支えや居場所も必要だからである。
 そのための基礎づくりが、じつは、学校教育全体をとおしておこなう生活指導なのである。たとえば、少年期では「遊び」や「交わり」を通して「対等」の関係をつくる基礎を養っておくことが必要である。
 「対等をつくる力」をふまえて言語でのコミュニケーションを行なう「討議(会議)」の力を身につけておく。
 さらに、おとな・教師・世間など、いわゆる権力的な存在と対等に向き合う力をも身につけていく。これらは、高校生活指導実践の伝統である「自治」概念を発展させることにつながっている。


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労働法 必ず覚えておきたい「効力の順序」 [通信原稿]

憲法>法律>労働協約>労使協定>就業規則>労働契約>業務命令

 A 憲法:第28条「労働三権」「団結権」「団体交渉権」「団体行動権」(争議権)

 B 法律:代表的なものが労働三法(「労働基準法」「労働組合法」「労働関係調整法」)

 C 労働協約:法律の最低基準を上回る約束事を使用者と結ぶ事ができる

 D 労使協定:労働基準法で禁止されていることの罰則を免除させる為に労使間で結ぶ協定

 E 就業規則:使用者が勝手に作る事ができるもの

 F 労働契約:就職したときは交わすもの。労働の条件が示されている

 G 業務命令:上司の命令(労働契約を超える命令はできない)

他にも、労働安全衛生法、最低賃金法、労働者派遣法など、使用者を拘束する法令があります。
私たち労働者は労働法制を理解し、職場や生徒たちに知らせていく必要があります。

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