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全国フォーラム(2013.5.11~5.12、於京都)報告 白石 [通信原稿]

1.京都大会について

(1)大会担当と現地実行委員の共同運営によって、小人数でもコンパクトに大会を企画・運営できる方式を考案している。「地元のメンバーが最低5人いれば開催できる全国大会」(大会運営体制)という発想は貴重である。

(2)基調発題の論調については、「状況分析」か、「実践指針」か、「実践記録」か、基調「報告」、基調「提案」、基調「発題」か、その性格規定のちがいによって、書く内容や形式も変わってくる。今後、議論を続ける。

(3)コラボ企画は、全生研との共同企画である。「貧困と格差のなかの子どもたち」「荒れ・問題行動・いじめに向き合う」「生きづらさをかかえた子ども・若者の声を聞く」の3分科会。それぞれ100名程度、10人の班編成。
さまざまの学校、いろいろな年代の教師が、自由に語り合い、意見交換し合う場をつくりたい。この場に参加することで、全国レベルの活力を体感するとともに、実践の悩みや課題を自由に語れる教員サークルの居場所感を経験してもらいたい。
 高校教師や若手教師は、このコラボを窓口にして、サークルへの敷居を低くしてほしいし、会員拡大の手がかりとしたい。

(4)分科会については、応募本数がもう少し増えればいい。タイムリーな企画の観点(たとえば、憲法は)も必要である。

(5)今後の大会担当の予定については、14年度、15年度の予定は進行中である。しかし、高生研の活動を将来へつなげるために、ここ数年が正念場となる。

2.公開講座「ケアの倫理からグローバルな社会へ」 岡野八代(同志社大学、政治学)

 政治学、国家論の立場からいえば、「独立した個人」が契約を交わして社会を製作してきたことになる。しかし、この独立した個人こそが、虚構の産物であった。現実に存在する人間は、「傷つきやすい」存在であり、「ケア」されるべき存在であり、「依存し合う」存在であり、「他者性」をそなえた存在である。そのために、ケアの倫理を導入する必要があり、そこから非暴力の発想も生まれる。岡野の主張を、強引に要約すれば、上記のようになる。

 いま、教育の領域においても、ケアを積極的に語る人もいるし、「全生研大会の基調報告」においても「ケア」について述べられている。問題はケアの「倫理」ではなく、ケア「論理」なのである。何がケアであり、何がケアでないのか、ケアという用語を使わないと見えないものは何か、ケアという営みの特質は何か、ケアの論理こそが難問である。
 
 私は、ケアを安易に使うこと対しては疑問をもっており、ケアについては慎重に議論したいと考えていることだけを述べておく。

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