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熊本大地震「当時の思い」と「現在の思い」を五七五に [通信原稿]

3.11大川小学校でお子さんを亡くされた佐藤敏郎さんの講演を聴いた後、熊本大地震「当時の思い」と「現在の思い」を生徒が五七五に表現しました。(2017.3.4)

【当時】
日常だ なんていえない 憎ましさ
真夜中に 人々起こす 大地震
支え合う その一言で 救われる
大災害 戻ってこない あの日常
恐ろしい その一言じゃ 終われない
新学期 突然おそった大震災
他人事と 思っていたこと 現実に
震災で 気づいたみんなの 支えあい
染み込んだ カーペットに転がった ヨーグルト
日常が 変わり果てた マイライフ
誕生日 翌日住居は 惨状に
避難所で 平気で二つ 持って行く
揺れ動く 頭の中には 不安だけ
帰れない 自分のことで 精一杯
熊本の 時が一瞬 止まってた
リビングに 家族集合 地震の夜
車中泊 何日続くか 未知ばかり
友と会い 普段とは違う 安心感
幸せだった いつもの日常 帰ってきて
壊れてる 熊本城も 心までも
またかよと 大きな余震 おびえてた
友達に 会えない日々は 不安ばかり
あの夜の こわさは二度と 忘れない
暗やみで いつまで続く? この不安
生きれるか ただそれだけを 考えてた
脳内に 警報音が こびりつく
ニュースでの 映像が頭に やきついた
車中泊 いつまで続くの 眠れない
気づいたよ あたりまえが 幸せなこと
つながりを 深く感じた 四月の日々
ありがとう その一言で 花が咲く

【現在】
日常だ 過去があるから 今がある
今もまだ つめあと残る この村に
熊本の 震災伝える いつまでも
あの日から 変わったようで 変わらない
大丈夫 いつかくるはず 笑顔の日々
あたりまえ そう思わずに 大切に
忘れない 命を守る 大切さ
震災で 学んだことを 伝えよう
いつくるか 分からないあの 大地震
気がつけば わが身に宿る 郷土愛
今までの 生活戻り 一安心
経験を 未来の人に つないでく
あたりまえ その生活の ありがたさ
救われた 生きる源 他の笑顔
熊本城 早くおまえの 姿が見たい
友達と 毎日会える 幸せだ
あの日から 自然と仲間の 意識が増えた
あたりまえ 思える環境 幸せだ
いつまでも あの震災を 忘れない
力強く 歩み始める 未来へと
こうやって 生きていることに 感謝しよう
日常の あらためて知る 大切さ
少しずつ 前へと進む わが故郷
大切に 失う前に その人を
毎日が 色づいた日々に なっていく
あの日から あたりまえだと 考えれず
 「あたりまえ」 慣れてはいけない その言葉
ひとあんしん と思っていたら また揺れる
後悔を しないために 日ごろから
なにげない 日常の日々 ありがとう

いつの日か 未来を救う 糧となる 支える心を 次の世代ヘ
熊本と 東北結ぶ 合い言葉 負けじと魂 心に燃やして


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5月例会報告「被災地での若者たち」 [通信原稿]

 熊本は、4月14日夜の前震と16日未明の本震の最高震度7を初め一千回を超える震度1以上の余震が5月の末になっても続いていた。
 4月の例会では、まず会員の無事確認、実態報告情報交換、勤務先学校の対応状況などを話し合った。5月例会では、地元地方紙「熊本日々新聞」に掲載された、自主的にボランティア活動に関わった高校生の報告会の動画を視聴することから始めた。

1.被災地での若者たち

 この生徒たちは、浦崎さんが勤務する熊本学園大付属高の生徒で、H君、E君、Tさん、Hさん、Aさんの5名である。熊日記事によるとH君は益城町の自宅で被災し、避難生活を送りながらグランメッセ熊本(大型展示場)でボランティアを続けた。「最初の数日は町役場の人が懸命に動いてくれたけど、代わる人がいなかった」。一つの自治体で対応できるレベルを超えた被害の大きさを感じ、少しでもサポートしようと「友達と一緒に支援物資の仕分けを始めました」。

 E君とHさんは、熊本市東区の中学校で避難者を支えた。学校側の態勢が整う前から大学生らと乗り入れ自動車の整理をしたり、物資を配分したり。「あなたたちがいるから生活できる」との感謝の言葉に感激したという。子ども連れもいれば、足腰の弱い高齢者もいた。さまざまな人が地域で暮らしていることをあらためて理解し、物資受け取りの列に並べない人たちに「私たちが直接配って回った」とHさん。一律のルールだけではなく、きめ細かな支援の必要性を体感した。

 Aさんが身を寄せた熊本市中央区の避難先は、住民のつながりが深く、「みんなで買い出しに行き、食事をつくるような活動ができた」。ただ、避難者宅を狙った窃盗事件が近所であり、「絶対に許せない」と憤った。

 Tさんは支援のため、益城町や西原村、熊本市東区などを回る機会があった。つぶれた家々を見て、テレビからは伝わらない現実に圧倒された。この現状がどう把握されているのか。「仮設住宅の建設など必要な支援を急ぐべきだと感じました」。

 ボランティア活動を通じ、「人の欲」も垣間見えたという5人。支援物資を必要以上に持っていったり、喫煙場所を守らなかったりする人に注意すると、逆に責められ傷付いたこともあったそうである。この地震前に18歳になったH君は「様々な状況にある人たちに行政や政治は目を向けて欲しい」。「政治への関心はあまりなかった」というI君は「リーダーが重要だと避難所でも感じた。政治家を選ぶ選挙もしっかり考えて投票しないといけないと感じた」と被災経験を糧にした発言をしている。
 
2.視聴後の討論・意見発表

 「被災者を前にして、誰が先頭に立ってやるのだろうかと躊躇することはない。自らが行動を起すことが必要」。「お互いに声掛けが大切。誰がやらねばならないという決まりは無い。行動を起す事で、その場が活気づく」。「こんな場面で、お互いに声かけができるような普段からの挨拶などの意思疎通が非常に大切である」。「避難所の運営は、そこに集まった限られたマンパワーとその知恵と技術、技能を集めて運営しなければならない。今回、避難所に関わることで、この高校生たちは様々な事を学んだ。まさに、アクティブラーニングであった」。

 また、余震が続く中でのこれからの「心のケア」については、「子どもたち、生徒たちの心に寄り添うことが大切で、『皆同じだよ』等の声掛けが大切」。また、この状況を「逆手に取った」遊びなどもあるのではと紹介されたのは、「肩車して、揺らし『今のは、震度何?』(これは小学生低学年までか…)」。このような意見が出ました。

3.これからの事

 熊日記事の最後には地元大学生3人の声も掲載されている。「人手不足の所へ日替わりで足を運んだ。全国から支援に駆け付ける人々の熱意に触れ、協力し合う意義を痛感。一方で収集が追い付かず放置された災害ゴミを見て、できることなら自分で収集に当たりたいと思うほどだった」。不便さを強いられている障がい者と接した学生は「弱い立場の人に社会がどう向き合っているか。先送りしてきた課題が震災で浮き彫りになっている」。と指摘。また、女子大生の1人は学内の避難所で活動。ストレスが日毎に強まる避難者を見て、長期に亘る適切な支援の重要性を感じたという。と同時に「震災がなければ出会わなかった人とも会話ができた。」と被災地の厳しさも前向きに捉え、改めて社会に目を向けたと報告している。

 他の誰からどうのこうのと言われるまでもなく、一人の人間として目前の現実に対して、仲間とどう手をつなぎ乗り越えていくのかを考え行動に移していく若者の姿を見る事ができ、私たちが願う民主的主権者とだぶります。

 一方、2022年度に導入予定の公民の必修科目「公共」では、①公共の扉、②自立した主体として国家・社会に参画し、他者と恊働するために、③持続可能な社会づくりの主体となるために−の主要3項目で構成されている。今回の記事の生徒・学生はこの「公共」の実践者であると言える思うが、今後この「公共」がどのように展開されていくか注意深く見ていく必要もある。

 最後に、次回6月25日(土)の熊本高生研例会学習会では、浦崎さんの「アクティブ・ラーニングの時代が来た!」(仮題)の模擬授業実践がある事を申し添えておきます。
                               報告者 正清 裕一

タグ:熊本地震
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サラ・ブラウン 「情報弱者」になりがちな外国人に英訳提供を [通信原稿]

1 はじめに

 26年度に約28万4千人の外国人観光客が熊本県を訪ねた。そして平成27年度の国勢調査によると、熊本県に住む外国人は10,767人(人口の約0.6%)である。そのうち、私が所属しているJETプログラム(総務省、外務省、と文部省が共に管理する「語学指導等を行う外国青年招致事業」の略)は133人という少人数であるが、結びつきが強いコミュニティーなので日常的に情報交換や問題解決をSNSで行っている。

 私は平成22年から熊本県立菊池高校に外国語指導助手として長く勤務し、日本語能力を磨く機会を多く与えられてきた。例えば、車の購入や携帯の契約内容変更、さらには病院での診察に付き添うなど翻訳・通訳の依頼に多く応えてきた。しかし、たいていのJET参加者はこれほど長く日本に滞在していないため、日本語に慣れていない者が多い。

 彼らと同じように、日本語を使いこなせない在留外国人は、知り合いやボランティアに色々頼まなければいけない時がある。そんな外国人が、非常時に庁や市役所などの公の側からのサポートを期待することは、不当な要求だろうか。年におよそ29万人の外国人が熊本を訪れるのだから、災害発生時の情報の多言語化は最低限必要であるはずだ。
 在留資格(ビザ)の所有者は市町村に転入する際、日本人と同じ手続きをする他に在留カードを市町村長に発行してもらうことも必要である。従って、各自治体は在留外国人の人数と母国語を把握しているにもかかわらず、必要な情報を用意する義務を怠っていると思われる。在留カードを発行するのと同時に、パンフレットを渡す程度はできるはずだ。

 日本の経済と地方の活性化に貢献している外国人に、生活面で必要な情報をやさしい日本語でも提供しない自治体であるため、言うまでもなく各地の祭りなどのイベント情報も入手不可能である。
 そこで、熊本県をもっと知りたい・もっと楽しみたい日本語に不慣れな外国人のため、熊本学園大学の講師であるアメリカ人2人が2011年にKumamoto-I(クマモトインターナショナル)のFacebookページを立ち上げた。そして、SNSの特徴である拡散性を利用し、熊本県に関する情報発信を始めた。普段JET参加者に英訳を提供してきた私が、Kumamoto-Iの管理者にページのことを紹介されて「編集者になってくれん?」というオファーを頂き、編集者になったのは4月14日の前震の2週間前である。そして、初めて投稿したのが地震の直後であった。

2 地震前後の行動

 たまたま4月14日に私用で福岡アメリカ領事館を訪問したのだが、その際突然スタッフに声をかけられ、非常時に連絡を取れる熊本の代表になるよう依頼された。引き受けて熊本に帰ると、その夜9時46分頃一回目の地震が発生した。早速領事館から電話があり、アメリカ人の安否確認に協力してほしいとのことだった。熊本に住むアメリカ人は300人ぐらいしかいないが、会ったことがない人のほうが多いのであらゆるネットワークを使用し、なんとかケガ人や助けの必要な人はいないと伝えることができた。16日の早朝も安否確認を頼まれた。それから19日まで領事館のスタッフに熊本とアメリカ人の状況を毎日伝え続けた。
 
 避難所がどこにあるのか、何を持っていけば良いのかわからない人がいるだろうと思い、熊本在住のJET参加者が利用するFacebookグループにその情報を投稿した。さらに、Kumamoto-Iのメンバーにその情報を必要とする人がいるかもしれないと考えてKumamoto-Iのページにも載せた。
 その後、Kumamoto-Iに県内外と国内外の人々からたくさんのメッセージが届きはじめた。「熊本に物資届けたいけどどんな道で行けばいいですか」や「私の親戚は○○市の○区に住んでますが、連絡とってもらえますか」や「ゴールデンウィークは熊本城と黒川温泉に行く予定だけど、まだ行けると思う?電車とか大丈夫と思う?」など、メッセージの内容は様々だった。
 一番記憶に残った質問は16日の昼ごろにきた。来日したばかりの若いアメリカ人の母親からのもので、「私の息子が14日の夕方に成田空港に到着したはずだが、連絡がとれない。息子は大丈夫なの?」という内容だった。行き先は熊本ですかと尋ねたら、「分からない」と。確かに日本はアメリカに比べてとても狭い国だけども、14日の夕方から16日の早朝の間に成田から熊本まで来たとは考えにくいのでは・・・と答えると、その母親は少し安心したようだった。

 私が住む菊池市は幸いなことに殆ど被害がなく、16日の朝9時頃から電気なども復旧されたが、Kumamoto-Iの他の編集者や管理者は避難所で待機していたので投稿はほぼ1人ですることになった。
 まず、私は菊池高校に行って職員の安否確認を手伝った。午後5時まで事務長先生と一緒に事務室に待機し、NHKのニュースをみながら携帯で最新情報を集めて英訳を発信し続けた。
 交通機関の復旧、携帯会社による無料WiFiと充電できる場所、指定と個人提供の給水所、炊き出しの場所、開いている病院、おむつや粉ミルクがもらえる場所、多言語対応可能な避難所や電話による無料通訳センター、とにかく外国人のコミュニティーに役立ちそうなものを英訳してKumamoto-IとJETのグループ両方に載せた。さらに、メッセージに対応しながら情報をさがし集めて英訳して発信した。

 18日月曜日から23日木曜日まで休校だったため、その時間を使って活動を続けた。そして、19日水曜日、福岡領事館から電話があったが、今回の内容は依頼ではなくお知らせだった。ケネディ大使が熊本を訪問されることが決まり、私に感謝状を贈りたいとのことだった。

3 現在(5月末)の状況と今後の展望
 
 今はだいぶ落ち着いてきて、投稿の内容がボランティアや復旧の話に変わってきた。1日のメッセージの数も減ってきている。
 感謝状をいただいたことがニュースになったお陰で、ある自治体が在熊外国人へのサポートを強化することに目を向けはじめたようである。
 観光客を呼ぶなら、在留外国人に税金を払ってもらうなら、災害で命を失わないようにきちんと責任をもって対応をしてほしい。例えば非常時にリアルタイムで英訳を出すことが難しいことであっても、普段から日本語も英語もできるボランティアに声をかけてパンフレットを作成したり、ホームページに載せる情報を易しい日本語で書いたり、振り仮名を付けたりすることはできるだろう。しかし、今回のことを受けて、今後は少しずつでも非常時に必要となる情報の多言語化がなされることを期待している。

タグ:熊本地震
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報告:外国人向けに避難所、給水、ライフラインの状況をSNS発信 [通信原稿]

 熊本地震を受け、菊池市在住の米国人で外国語指導助手(ALT)のサラ・ブラウンさん(27)は、会員制交流サイト(SNS)で外国人向けの情報を英語で発信し続けた。避難所、給水、ライフラインの状況…。災害時に孤立しがちな外国人の支えになろうと不眠不休で書き込んだ。

 その奮闘が評価され、熊本県を訪れた米国のキャロライン・ケネディ駐日大使から感謝状が贈られた。ブラウンさんは「クマモトの復興も発信していきたい」と誓う。

 南部ルイジアナ州出身のブラウンさんは、ALT歴5年目。4月14日の前震時、震度4を観測した菊池市の自宅にいた。「益城町 震度7」。テレビの速報に衝撃を受け、来日間もないころ、病気にかかったときの不安がよぎった。「日本語を十分に理解できず、不安な思いをしている仲間たちがいるのでは」

 自治体のホームページに満足な英語情報の提供はなく、ブラウンさんは自ら翻訳して、SNSのフェイスブックで熊本在住の外国人が情報交換するページに投稿した。16日の本震後は交通機関の情報も含め数分おきに発信。仲間とも手分けした書き込みは1日100件に及び、4千~5千人が閲覧した内容もあった。

「ボランティアをするには」「熊本に寄付したい」。反響のほか、米国在住の日系人から「親類の安否が分からない」とメッセージが届き、避難所に電話して確認したこともあったという。

 ブラウンさんの頑張りは、福岡市の米総領事館を通じてケネディ大使の耳に入り、4月29日に大使が熊本市を訪れた際に「あなたの貢献は米国民全ての励み」とたたえられた。

 ブラウンさんは「災害時、行政は多言語による情報発信を強化すべきだ」と指摘。「これからは復興の様子や、訪日客向けの観光地情報も発信したい」と決意を新たにしていた。

=2016/05/09付 西日本新聞朝刊=


タグ:熊本地震
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白石分析:「学級びらき」を事例にして、教師の「指導」をイメージする [通信原稿]

 3月26日の研究例会は、菊池高校と大阪旭高校の交流体験、あるいは菊池川流域プロジェクトと大阪高生研のコラボ企画であった。この時に、大阪高生研の佐藤功さんに「学級びらき」の実例を演じてもらった。それは、「自己紹介ゲーム」である。以下、敬称は省略する。(白石陽一による分析)

 「学級びらき」で定番なのが自己紹介なのであるが、これは生徒にとって<恥ずかしい><めんどくさい><あきている>イベントであり、本音をいえば<してほしくない>行事でもある。では、どうするのか。自己紹介を「遊び」化してしまうのである。ゲーム感覚で、生徒を「のせてしまう」のである。

 私はこの行事の意味づけをしてみたい。
 なぜ学級開きを行うのか。なぜ学級びらきに手の込んだ配慮をこめるのか。その一般的な回答は、こうである。最初の「出会い」を大切にしたい。最初の出会いに失敗すると、後々生徒との関係を良好にしていくことに苦労するから、である。この回答それ自体に間違いはない。だが、私はこれ以上の意味を付与してみたいのである。

 まず、佐藤に演じてもらった学級びらきのゲームは、「きちんと成功する」こと、「スムーズに進行する」ことを積極的には意図していない、と私は推測する。自己紹介ゲームで、<自分の誕生月を書いてください。他の月に生まれた人にサインをもらってきてください>といっても、おもしろそうな表情をしてのってくる生徒もいれば、めんどくさそうな表情でのろのろと動くをする生徒もいる。このような生徒の反応をキャッチすることが、じつは、このイベントの眼目である。要するに、イベントを仕掛けて、生徒の反応を観察して、生徒の個性の一端を発見し、その個性に合わせて語りかける方法をさぐる、この一連の流れをイメージし展望しておくこと、これを教師の指導と呼ぶ。

 あるいは、こんな楽しい活動をしながら、ゆっくり話し合いながら暮らしていこうという教師のメッセージを間接的に届けることも狙っている。
 
 何らかの活動をとおしてしか、教師は生徒を理解することはできない。これを「関与しながらの観察」と呼ぶ。生徒理解とは、アンケートをとればできるものではない。アンケート項目が陳腐であるなら、生徒の内面や葛藤などを知ることはできない。アンケートをとっても徒労に終わることもある。安直なアンケートはアリバイづくりにしかならないし、教師を多忙においこむだけである。

 同じような意味で、活動をとおしてしか教師と生徒はつながることはできないし、生徒も成長することはできない。活動を組織しないで、言葉による説教だけで生徒を教育することができるという悪弊は、今でも教育現場に残存している。学級びらきを、教師による<熱い決意>や<真剣な話>だけにしない理由も、この点にある。それは、教師の主観的善意のおしつけになる危険があるからだ。

 いまこの問題にたちいることはできないので、一言だけ述べておく。ハラスメントとは、「善意の暴力」であり、力関係の落差に由来する「暴力」「抑圧」である。
 佐藤も、当然、このような指導のポイントを心得ているはずだ。だから、「元気に反応してくれた〇〇君には、明日の号令係りをお願いしようと思うんだけど」と、次なる一手を打つことを忘れずに紹介していたのである。この時の模擬授業では、「反応の悪い生徒に対して、どうするのか」について、佐藤の話はなかったと記憶する。

 私なら、たとえば以下のような手立てを考える。参加の態度がよろしくなくても当面は、放置しておく。休み時間に「あなたは、みんな以上に<おとな>なのかな」とか囁いてみる。いずれにしても、イベントの成功それ自体よりも、生徒と対話するための「きっかけづくり」、あるいは今後の指導を「とおしていく」一歩と位置づけることが大事である。
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白石提言:「メモ」から始めてもよい、「聞きとり・聞きこみ」の実践分析を [通信原稿]

2月例会報告

 このたびの「実践記録の分析」(「分析」という用語は用いたくないのだが、ここではその理由は省く)のために報告してくれたのは若い教師であった。彼にとって初めてのことなので、まず一枚だけ、要点だけを書いてきて、実践の内容については口頭報告でよい、ということにした。

 その理由は二つある。理由の第一は、実践報告をするためのハードルを低くする試みである。いきなり長い文章とか、実践の構想と省察とか、むずかしいことを要求しても無理である。まず実践を語ってみる、語る過程で自分の悩みや自分の課題が明瞭になってくる。そのために必要なことが、サークルの参加者の「聞きこみ・聞きとり」なのである。

 実践記録の読みにおいて、もっとも重要なのは、「聞きこみ」である、というのが私の見解である。この点についても詳細に論じる余裕はないが、いくつかだけその理由を挙げておく。実践記録は、その一部だけを裁断して評価したり、評価する人が高みにたってアドバイスしたりするのでは、レポートした実践家に響かない。レポーターの意図や実践の物語に即して、あなたには指導のチャンスがあったのです、という言い方をしないと、レポーターがイメージを伴って納得しないし、批評した人自身の成長にもつながらない。

 理由の第二は、若い教師に、いわゆる「官制研修会」に提出するようなレポート書いてほしくなかったからである。「官制研的」というイメージは、県や学校の教育目標を列挙して、それを達成するために自分のクラスで何にとりくんだのか、秩序を維持するために服装や遅刻などにどう対応したのかなど<私はきちんと指導しています>という証拠と<生徒に学びながら成長していきます>という決意がちりばめられているものである。

 これは、2011年の高生研全国大会の基調である「実践記録を書くことの意味」をめぐる議論のなかで浮かび上がった問題である。若手が「書けない」ことに加えて「書くことの視点がちがう」ことも問題になった。何でもいいから書いてほしい、と依頼しておきながら、その内容が依頼者の意図に沿っていないことになり、議論ができないので落胆したり、若手を批判したりする、このような不幸な事態を避ける工夫が必要である。

 だから、このたびの実践分析会は、報告者に「一枚のメモ」をもとに話してもらい、参加者は「聞きこみ」に徹することにしたのである。また、実践記録を「読む」ということは、報告者に対して意見をするというよりも、自分の問題関心を抉り出し、それを表明するという性格をもっている。文学理論が教えるように、文学作品を読むとは「作者」の意図を読むのではなく、読み手である「自分自身の」問題関心を読むことなのである。この「論理」は実践記録を読む際にもあてはまる。

 「実践記録を読むとは自分を読むことだ」という観点について、一言だけ述べておきたい。“手前味噌”になって申し訳ないが、私は、若い教師が書いたテクストを読みこむことで、それに対する私の立ち位置や(ある程度)普遍的は対応をていねいに語るように呼びかけられたと感じたのである。それが、「公的」指導と「私的」指導の二つの顔をもつ、という方策であった。そして、この方策は別に新しいものでもなく、すでに高校生活指導実践史の中にヒントとして宿されていたこともまた、重要なのである。私たちの先人と仲間たちの営みに多少の自信と矜持をこめて、足元にある記録を活用したい、と改めて実感したのである。(しらいしよういち)

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「主権者教育・高校生を市民に~私たちで拓く日本の未来」 [通信原稿]

総務省・文科省から全生徒分、配付されてきたテキスト『私たちが拓く日本の未来~有権者として求められる力を身に付けるために』を、どう活用していくか。

実践②「地域課題を見つける」を冬休みの宿題として出した。
まず、生活の中で困っていること、気になること、良い取り組みなどを洗い出して、それらに対しての自治体の取り組みがどうなっているのかをまとめる。「行政発行広報誌」や「自治体の長期計画」「議会発行情報誌」「議会議事録」から見つけるというもの。地域づくりを支える有権者として何をしていけばいいかを考えるのが着地点。

でもここで終わらせたくない。模擬請願の実践編へとつなげたい。
上記で自分が着目したことについて、計画は自分の考えから遠い場合もあるだろう。地域の課題を解決するために願いをまとめて議会に請願し審議してもらうこともできる。自分の住む議会への請願書・陳情書を課題別にグループで書かせたい。
できれば長期休み中に議会事務局に訪問し、請願・陳情を実際の議会に提出させたい。委員会・議会で請願・陳情が議論・採択されれば、大きなニュースになると期待している。高校生を「街の課題を積極的に考え、まとめ、政策化する市民」にしていきたいと考えている。

ちなみに、テキストでは「議会事務局訪問は模擬請願について意見を聞くことや、請願を議論している委員会を傍聴することを想定」しているが、「請願権は有権者でなくても誰でもできる権利」ということを教えるために、実際に提出までさせたい。

3月には県知事選挙が行われた。熊日新聞が「青き一票」という特集紙面を作成した。
県の課題を3つ探して、候補者の選挙公報などを参考に評価するというワークシートがある。
また「候補者の政策を分析・評価しよう!」というワークシートを参考に、各候補者の「評価できる政策・キーワード」についても深めた。

これらを元に模擬投票を行った。投票所を実際に設置して、学生証を提示して、生徒名簿と照らし合わせて、投票用紙を渡した。

以下が生徒たちの感想
・今まで政治に関心はなかったのですが、もっと政治について関心を持っていこうと思いました。県政は漠然としていたけど、身近に感じるようになりました。
・今年の夏に参院選があるけど、その時には選挙権がないので、全く何も考えていなかったけど、関心を持つようになった。新聞も全く読んでいなかったので、読むようになった。関心を持つようになったのは、中小企業へのサポートや子育てについて。意見を交換することによって、自分が気づかなかったことについて、目を向けるようになった。
・中学か高校の社会科の教員になりたくて、以前から政治のことに関心があった。20歳以上の人でも「分からない」「めんどくさい」という理由で選挙に行かない人は自分の参政権という権利を捨てているわけで、自分から政治に口出しをしないと言うことを宣言していることになる。政治に何も言えないと言うのは損していることになる。自分が投票する権利、国を動かす権利があるのに、もったいない。みんなが自分考えをしっかり持って、投票していったら、政治は変わるのではないかと思っている。

以下は「2016 マニフェストスイッチ熊本」のページです。
http://kumamotomogisenkyo.strikingly.com/
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不登校の息子が感じた学校の息苦しさ [通信原稿]

小森 糸さんの実践報告を読んで

 私の息子は小学校1年生の時、「学校に怪獣がいる。学校より大きい怪獣がいるから怖い」そう言って学校にいかなくなってしまいました。初めの頃は何か嫌なことが学校にあるのだろうなと思っていました。小森さんの実践記録を読んだ今は、怪獣が「学校の息苦しさ」であることが想像できます。

 そして当時の私もその後「息苦しさ」という表現ではありませんが、それを感じることになりました。最初に実感したのは、息子が通う小学校で、1年生全員に書くよう指導されていた「誰とでもお友達ノート」というものです。〝今日は誰々と遊んで楽しかった″〝今日は誰々ちゃんと遊んで嬉しかった″と、お友達の名前をあげて毎日記録するものでした。A4版の縦線が引かれたそのノートは、書き込む欄が2行ほどのもので単なる記録でしかなく、これは日記ですらないのだと感じたのを覚えています。家に持ち帰るものではなく、帰りのホームルームで記入し提出するものでしたので、授業参観でそれを知り大変驚きました。

「誰でもお友達ノート」の意味を先生に尋ねてみました。「早くみんなとなかよくなってもらいたい。好き嫌いなく誰とでも遊べることが大事だから」と言われました。友達関係を作ることが、まるで評価される ような事になってはいないか、それで、本当の友達になれたとはいえないのではないか、と話しましたが、「学校ではそういった形から入って行くことも必要な場合がある」「学年で話し合って決めたことだから、今後も続けます」と言われ引き下がるしかありませんでした。

 私の息子は、実は幼稚園を年中組の時、中途退園しています。人見知りが強かったために友だちは限られており、本当に心を許せる友だちと、コアな付き合い方しかできないようでした。年少組の時にすごくなかよしになったユウ君が大好きで、その子と遊ぶのが楽しみで通っていました。でも年中組に上がる時、クラスが別々になってしまったのです。

 嫌がりながらもしばらくは通いましたが、「早く外に出らんねー」という普段より強めの声となっていた頃、中途退園しました。息子は「運動会の練習は嫌い。先生が怒ってばかりいる」と言っていました。運動会前の練習が佳境に入り、担任の若い先生の焦りが怒っているように見えていたのでしょう。

 本題に戻ります。そんな性格の息子にとって「誰とでもお友だちノート」は苦痛以外の何物でもなかったのです。でも先生はそれが子どもたちのためになる事だと確信しておられました。「息子さんがそれが苦痛なら毎日ではなくても、遊べた時だけ書いてくれたらいいから」と言われました。

 しかし、クラス全体でみんなが取り組んでいて、「今日は誰と遊んだ?」「私は○○ちゃん」「俺、○○と遊んだ」とやっている中に一人だけ話題にも入れないならば、書かなくてもいいと言われても、居心地が悪くてたまらないだろうなあと思いました。

 学校に行きたくなくなったのは、勿論それだけが理由ではありません。入学式の日から兆候はありました。そのクラスは入学式当日から、子どもたちはみんなくったくが無く、教室に入っても自由に楽しんでいました。先生が「みなさーん、聞いてね」と話しかけてもワイワイ、ガヤガヤ、おしゃべりが止まらない子どもで溢れていました。中には指導的立場の子がいて「みんな!先生がお話してるよ、黙らんね!」と大きな声で叫んでいる子もいて、それはそれは賑やかでした。

 私は昔自分が小学校に入学した時と、あまりに違う状況にたいへん驚きました。嬉しさの反面緊張を伴ったはじめての学校ですから、まわりの友だちをチラチラ見るくらいはしますが、先生がしゃべり始めた時は、集中してみんな聞いていましたから。昔のような当たり前と思っていたコミュニケーションの取り方は学校で通用しなくなっているのかなあと思い、先生も大変だなあと思っていました。

 息子のクラスの先生は、怒りもせず優しい声で、「みなさーん聞いてね」と忍耐強く繰り返していました。そんな状態の中で息子は、怒ったような困ったような顔をして腕組みをして口をグッと結んで、じっと前を見つめていました。先生を見ているのでもありません。ただ前を見ているだけでした。

 その後完全に不登校になりましたので、その時の息子の中で何が起きていたのか、ずっと考えてきましたが、おそらく先生とクラスの騒々しい同級生たちの間で板挟みのようになって、自分がどう振舞っていいのかわからないでいたのだと思います。こうすべきだということを発信する勇気もないし、一緒に騒ぐこともできないし、どうしていいのか分からず困り果て、自分にもみんなにも怒っていたのかなあと思っています。

 そんな下地の元に、先生方が信じてやまない「この子たちのためには、こうあらねばならない」といった決め事や、そういった苦しみや辛いことを「乗り越えて」いくことこそ学校の役割だという、学校の中にある様々な理由が重なり合って不登校になっていったのだと思っています。これはやはり学校にある「息苦しさ」だと思います。「生き苦しさ」かもしれません。しかも多くの場合、先生方の教育者としての信念であり善意であるので、簡単には変えることはできません。

 小森先生が〝小さなわたし″のことを書いておられます。息子に重なる部分が多く、涙が出そうになりました。

『成長は「社会で生きるために元気な体と、明るくたくましい心をとを身につけた強い人間」に向かうためのもであることが、学校に感じていた「息苦しさ」だったのではないかと思う』というところがあります。

 これも強く共感できる言葉です。みんなが強く、たくましく、元気でなければ社会で生きていけないのか、そのためにはそれができない子は「乗り越える」事しか社会で生きて行く方法はないのでしょうか。なかなか乗り越えられないでいる自分を肯定できなければ、いつまでたっても本当に「乗り越える」ことはできないと思います。だから「乗り越えたふり」をするしかなくなります。それがかつてよく言われたいた「透明な自分」を作り出していったのだと思います。今もそのような状況は変わっていないのでしょうか。

 小森先生のすごいところは、自分の経験を元に、教育の営みに思考を馳せていったところです。「頑張っていないありのままのわたし」でいられる高校に出会ったことが、小森先生の独特の探究心を呼び起こしたのではないでしょうか。

 通常であれば子どもの頃、自分が苦しい思いをした学校に再び戻って教師として生きようとは思わないのではないかと思ったので「独特の探究心」と表現しましたがそこが小森先生の素晴らしさだと思うからです。

 今の学校の中にある「当たり前と思われているが実は普通ではないこと」が浮き彫りにされているところが、よく分かるのが、公立の学校と現在お勤めの通信制の学校との対比でした。

 「不自然で不必要なことを強いる教師の姿」は学校が「教育とは強制である」ことを実践している証拠だと思いました。子どもたちが、自分を否定しながら、それさえも〝慣れること″で〝乗り越え″ていく様は正に〝強制″に成功した結果ではないでしょうか。強制に成功したからといってそれが〝成長″といえるのかとても疑問に思います。

 通信制の高校は「学びというものから疎外されてきた子どもたち」の〝生き直し″をしなければならないので、本来ならば相当難しい教育の場であるはずです。また、公立の普通の高校であればありえないような概念を持たなければ、通用しないのに「自分が自分でいて嬉しくなれる時間」を教師が共有しているというのはほんとうにすばらしい学校だと思います。その状況に自分をも解放しながら、傷ついてきた子どもたちに対応できているのですから、小森先生にとっても、子どもたちにとっても、その子たちの親にとっても、とても幸せなことだと思います。

 私の息子は小学1年生の1学期の半ばで学校に行くことをやめ、中学校には全く行きませんでした。親たちで作ったフリースペースに7歳から12歳まで通いました。13歳の時にそのフリースペースから3人で〝独立″し自分たちの新たなフリースペースを作ってそこで過ごしました。不登校を考えるお母さんたちであり、運営委員である方々の助けを得ながらの3年間でした。

高校は通信制の高校に通い、今は大学3年生となりました。長い間学校に通わなかった事の影響が全く無いのかといえば否定はできませんが、息子にとっては、学校に行かなかったことの方が、前出の〝強制としての教育″の影響を受けることなく育ってきたことは良かったのではないかと思っています。

 小森先生、貴重な自分の経験の報告を読ませていただき、たいへん感謝しています。子どもが不登校の真っ只中であった時にこの実践報告を読んでいたら、多分、号泣していたと思います。理屈では学校のあり方や教育に問題があると考えてはいても、親はどうしても自分の育て方に問題があったのではないかと思ってしまうからです。いつもどこかに引け目を感じているからです。

担任をしてくださった先生たちはみんないい方ばかりでした。優しくて、いつもうちの息子を気にかけてくださいました。でも、学校や教育についての意見が合うことは一度もありませんでした。「学校はそもそも楽しいところではないのですよ」と言った先生。「お母さん、そういうこと(教育のあり方の問題)を考えない方が息子さんのためになると思います」と言った先生の言葉を今思い出しています。

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大阪高生研「早蕨」2月号【実践報告】「先生に教えたろ、LINE」(上) [通信原稿]

大阪高生研・佐藤功さんより

1.「LINEの台頭・・・」大学生・Tくんが言ってました。

「『みなさん、Lineに関しては否定的 なのかな』と少し感じました。( という か、「Line賛成!」という方がほとんどいなかったような…。)また、参加されていたみなさんがおどろいておられたことも、『正直、普通じゃないかな…。なにが不思議なんだろう …。』と思ってしまいました」

 大阪高生研10月例会「コミュニケーションの“リアル”~LINE,SNSの世界と若者~」で、大学生・Tくんが言ってたことばです。

 ここ数年、前の学校でも今の学校でも、見事なまでに高校1年の1学期にケータイやブログ、ツイッターなどを舞台とした“事件”が必ず起こってる。
 それも、「それっていじめや」と迫る教師に対し、生徒は、「これぐらい他にもみんなやってるし」と、意識の差が大きい。そのうえ、「被害者」とされた生徒の親は、「しっかり学校で指導して」と言い、一方、「加害者」とされた生徒の親は、「ウチの子どもが悪いと決めつけないで」。

 加えて、昨今ちまたでやたらと悪名高いLINEが出てきたぞ。
「情報化社会」の単元でリテラシーを扱うけど、通り一遍の「危ないよ」なんか生徒に入るのか。
「いまの高校生はケータイ買ったときからLINEがある世代なんやで」

 今年高一のウチの次男も、そう口走ってはスマホ片手にトイレにこもる毎日。
 はてさて。
 今だにケータイさえ持ってないぼくに、これらSNSを有効に語ることができるんだろうか。

2.座右の銘は、「わからんときは生徒にきけ」

そうだ。
「わからんときは生徒にきけ」だった。
 こうして、LINEについてまったくの素人のぼくだからこそできる授業――「先生に教えたろ」企画を思いつく。目の前の「LINE使いの専門家」たちがぼく相手に「授業をする」というのはどうだろう。

1年生現代社会・「情報化社会」の単元で

(1)まずは4人組でテーマ選び
 まったく無作為で4人班をつくります。
 男女比も関係なし。「現社の時間だけやからガマンしてな」でスタート。班ごとにテーマを決定します。

(2)生徒が選んだテーマは、以下でした。

・メールとLINEはこう違う
・ここがウザイここがめんどクサイぞ、LINE
・「既読」について
・LINEいじめってこんなもの
・このクラスの「LINE」現状分析
・LINEなければ明日はどうなる?
・10年後、こうなってると思うLINE
・ LINEのここがめんどクサイ
・LINEのエエとここんなこと
・こんなルールがあればみんながハッピー

(3)「ルール」は以下。

・1班3~5分。「資料プリント」を1枚作成。全員が何かひと言以上しゃべる。
・「プレゼン」ではなく、あくまでサトウや大人がわかるような「授業」をしてください。
・聞く者は「授業してくれた班へ」カードをコトバで書いて該当班に授業後手渡し。
・各班の発表に対して、ゲストの方(※次回詳述)1人と指定担当班(1つ)から1つずつ質問。責任を持って答えてください。

 さあ、文字どおりわからんときは生徒に。彼らどんな「授業」をしてくれるのか。次号に続きます。
  
(佐藤功。「早蕨」2月号。購読申し込みは、左記、大阪高生研ブログ「メール送信」へ)

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高生研活性化のために、私たちに必要なこと(藤川) [通信原稿]

 「別れの集い」では、大会に202名の参加があり大成功であったことが報告され、また次回大会は茨城県つくば市で2014年8月9日(土)から11日(月)筑波学院大学で開催予定であることが紹介されました。茨城といえば磯山さんです。数年前県大会の講師としてお招きしました。そのお返しに来年はみんなで「つくば」に押し掛けましょう。

 午後からは総会です。全国高生研の役員並びにグループ員そして一人ひとりの会員の尽力により、一時は全国高生研は「ちから尽きて崩壊するのか」と危ぶまれたのが、不死鳥のように甦り、この大会を成功させた様を目の当たりにし、40年間高生研に関わり続けてきた私にとって感慨深いものがありました。

 本大会の成功は京都高生研のちからはもとよりですが、特に大会グループを率いる久田さんの八面六臂の活躍が大きいと思います。

 私が全国大会に参加するのも、近畿・関東以外の地での開催を見届けるまで(近畿・関東での交互開催でもいいのではとも思いますが、熊本大会を経験した者としては地域高生研の活性化のためにも近畿・関東以外の地での開催を実現してほしいものです)あと3回くらいでしょうから、ここで辛口の批評をさせていただきます。
 
 どこの組織でもそうなんでしょうが、情報の開示が遅すぎます。全国会員の内の現金会員が占める数が97人(なんと4分の1)もいるというのが開示されたのは、1年くらい前。もっと早く分かっていれば全会員の4分の1を切り捨てることになる、全国会員は銀行引き落とし会員でなければならないという規定にはもっと早くからもっと徹底的に反対することが出来たのにと思います。総会での発言の中に「古い現金会員の皆さんさようなら、新しい若い会員の皆さんこんにちは」みたいな発言がありました。確かに新しい若い会員の皆さんを獲得することは現在の全国高生研にとっては最重要課題でしょうが、私は寂しい思いでその言葉を聞きました。「引き落とし会員は遠慮します、でも現金会員の形でだったらこれまでのように高生研を応援したい」という人の気持ちをもっと丁寧に掬い上げることは出来なかったのでしょうか。
 
 こうして比叡山と京都の街を借景しての全国高生研大会という夏の熱い祭りは幕を閉じました。
 と例年だったらここで終わるところですが、今回は大阪高生研の呼びかけにより夕刻より「学校で憲法を語るつどい」が「京都テルサ」で開かれました。大阪高生研には足を向けては眠られないくらいに恩義をこうむっている私(熊本高生研と言うべきか?)としては、なにがなんでも参加しなければなりません。そして参加した甲斐が、学びがありました。ポスターセッションという初めて経験する手法でした。60名余の参加者が8つのセッションに分かれ、それぞれの実践報告を聞き、論議するというものでした。「ぴら一」を始め大阪高生研の何が出てくるか分からない奥深さを感じました。
 
 私が注目したのは、杉浦先生の「憲法96条をもとに教室で模擬国会」でした。私の65歳の完全退職まであと1年半、ということはあと2回はこの実践をパクる機会があるということです。さあ,上手いことパクれるかどうか、お立会い。(おしまい)

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