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5月例会報告「『困らせる人は困っている人』を思い出させてくれた!」 [例会報告]

今回の深久レポートの評価点として、参加者から大きく3つ出された。

 一つ目は、これまでの学校教育で傷ついてきたそれぞれの生徒達が、クラスでやってみたいことや、学校、教師への要望を出せている点。
 二つ目は、学級通信の効果。
 三つ目は、「困らせる人は困っている人」を改めて思い起させた点である。
 
 一つ目の、学校、教師への要望は主に授業改善の要望であったが、その要望が出せたのは、トランプゲームでの罰ゲームや「たこ焼き食べながらの『クラス会議』」など、遊びを通じて合意形成の下地を作ってきたことが大きかったとの意見が出された。
 
 二つ目の学級通信では、まず、1年ぶりに入学してきた生徒(昨年度は入学者0)や役員になってくれた保護者等への「ありがとうございます」の言葉が溢れていた。
 また、日常の学校生活の中で、生徒の頑張っている点を生徒の名前を挙げて積極的に評価していることが、生徒達をサポートしていきたいというレポーターの思いを、通信を読む者に伝えているという評価だった。
 
 三つ目は、「困らせる人は困っている人」で、私が一番ハッとした言葉だ。
 これは、授業中の立歩きやわめき、スマフォ使用等をするBさんの行状についてクラス討議する場面で、レポーターが他の生徒に語り掛けた言葉だ。
 私はこの言葉は、問題行動の生徒を突き放すのでもなく、かと言って過剰に擁護するのでもない、客観的視点を持った言葉だと思った。
 この言葉により、クラスの生徒は、なぜBさんがそういう行動を取るのかを冷静に考え、「授業の内容に問題があり、分からないのを分かるようにするのが先生達の仕事だ」や「授業が簡単すぎてもいけない」などの意見が出されていく。
 またそうした話し合いをBさんが聞くことで、授業中のわめき等、本人自身が認識していなかった行為等をクラス内で共有できたそうだ。
 Bさんはこの話し合いで意見を求められて1分ほどの沈黙を続け、話し合いの結論は出ずに終わったが、この時、Bさんは、自身の客観化の端緒を得たのではないかと思う。
 
 クラスは、その後、教科担当への要望書を作成することになる。
 このように、大方の参加者が「素晴らしい実践だ」と唸ったのだが、今後のアドバイスとして、生徒達が要望書を出そうとしているその教師自身も授業で「困っている」と思われるので、職員全体への要望にした方が良いとの意見等が出された。
 
 現在進行形の深久実践、続きが楽しみである。

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熊本大地震「当時の思い」と「現在の思い」を五七五に [通信原稿]

3.11大川小学校でお子さんを亡くされた佐藤敏郎さんの講演を聴いた後、熊本大地震「当時の思い」と「現在の思い」を生徒が五七五に表現しました。(2017.3.4)

【当時】
日常だ なんていえない 憎ましさ
真夜中に 人々起こす 大地震
支え合う その一言で 救われる
大災害 戻ってこない あの日常
恐ろしい その一言じゃ 終われない
新学期 突然おそった大震災
他人事と 思っていたこと 現実に
震災で 気づいたみんなの 支えあい
染み込んだ カーペットに転がった ヨーグルト
日常が 変わり果てた マイライフ
誕生日 翌日住居は 惨状に
避難所で 平気で二つ 持って行く
揺れ動く 頭の中には 不安だけ
帰れない 自分のことで 精一杯
熊本の 時が一瞬 止まってた
リビングに 家族集合 地震の夜
車中泊 何日続くか 未知ばかり
友と会い 普段とは違う 安心感
幸せだった いつもの日常 帰ってきて
壊れてる 熊本城も 心までも
またかよと 大きな余震 おびえてた
友達に 会えない日々は 不安ばかり
あの夜の こわさは二度と 忘れない
暗やみで いつまで続く? この不安
生きれるか ただそれだけを 考えてた
脳内に 警報音が こびりつく
ニュースでの 映像が頭に やきついた
車中泊 いつまで続くの 眠れない
気づいたよ あたりまえが 幸せなこと
つながりを 深く感じた 四月の日々
ありがとう その一言で 花が咲く

【現在】
日常だ 過去があるから 今がある
今もまだ つめあと残る この村に
熊本の 震災伝える いつまでも
あの日から 変わったようで 変わらない
大丈夫 いつかくるはず 笑顔の日々
あたりまえ そう思わずに 大切に
忘れない 命を守る 大切さ
震災で 学んだことを 伝えよう
いつくるか 分からないあの 大地震
気がつけば わが身に宿る 郷土愛
今までの 生活戻り 一安心
経験を 未来の人に つないでく
あたりまえ その生活の ありがたさ
救われた 生きる源 他の笑顔
熊本城 早くおまえの 姿が見たい
友達と 毎日会える 幸せだ
あの日から 自然と仲間の 意識が増えた
あたりまえ 思える環境 幸せだ
いつまでも あの震災を 忘れない
力強く 歩み始める 未来へと
こうやって 生きていることに 感謝しよう
日常の あらためて知る 大切さ
少しずつ 前へと進む わが故郷
大切に 失う前に その人を
毎日が 色づいた日々に なっていく
あの日から あたりまえだと 考えれず
 「あたりまえ」 慣れてはいけない その言葉
ひとあんしん と思っていたら また揺れる
後悔を しないために 日ごろから
なにげない 日常の日々 ありがとう

いつの日か 未来を救う 糧となる 支える心を 次の世代ヘ
熊本と 東北結ぶ 合い言葉 負けじと魂 心に燃やして


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3月例会「授業開き・学級開きのノウハウ(2)」 [例会報告]

2.「仲間づくりと関係づくり~私のクラス開き~」(岩崎 和彦さん)
 
 熊本農業高校で「定年まで担任をめざしたい」と力強く宣言されている岩崎さんの緻密でアクティブな実践を報告します。
 「集団を構成する生徒同士のコミュニケ-ションつくり」のために入学式や始業式直後に実施している(1)学級開き資料、(2)他己紹介(生徒紹介)、(3)グループインタビュー、(4)集団遊びの4つを紹介されました。

(1)は、以前の学習会(『はじめての女子クラスを卒業させて』の実践)で細かく触れられましたので今回は簡単な説明のみでした(しかし、担任を持つ際に必ず配布する「所信表明」(指導方針を示すもの)は、私たちにも十分参考になるものだと思います)。

(2)は、「6~7人のグループを作らせ、そのグループ内 で自己紹介を行い、それをもとに他のグループに対してグループ内のだれかが、ある人の紹介を行う」というものです。例えば「私は福永信幸です。岩崎和彦さんを紹介します。岩崎さんは~な人です」→「私は福永信幸さんから紹介を受けた岩崎和彦です。簑田正一さんを紹介します。簑田さんは~な人です」 →「私は岩崎和彦さんから紹介を受けた簑田正一です…」というように必ず3回個人名が登場します。うまく紹介するためには、グループ内の自己紹介をよく聞く必要があります。

(3)は、「はじめて出会う人(クラスメートや教師)にグループでインタビューし、その人間像をグループでまとめ発表する」という企画です。
 基本的には、最低2時間程度かかるそうです。まず「インタビューの目的」(相手のことをより良く理解し、同時に仲間同士の理解を深める等)をきちんと生徒に提示し、その後具体的なやり方を示します。
 グループ内での自己紹介から始まり、「限られた時間で相手をよく知るためにはどのようなことをどのように聞けばよいか」をグループで相談します(作戦タイムⅠ)。
 そして「第1回インタビュー」となります。インタビュー後、個人でまとめ(どのようなことがわかったか、どのように推測できるか、疑問点はないか、さらにどのどのような質問をすればよいか等)を行い、グループで次の質問の作戦を立てます(作戦タイムⅡ)。
 そして「第2回インタビュー」を行った後、また個人でインタビューをした人の人間像をまとめます。さらにグループで各自のまとめを発表し、それらをもとに人間像を広用紙に整理します。
 最後に、この実習で感じたことや気づいたことをグループで自由に話し合い、その話を発表し、他グループと共有します。
 岩崎さんは「どんなことを聞けばよいかはあらかじめ準備しているが、すべて生徒に提示する必要はない。臨機応変に対応することが大事」と言われました。それは(3)の最後に記載された「注意」にもある「相手が答えにくいことやプライバシーの侵害になること」に十分留意しておられるのだと感じました。

(4)は、「見知らぬ同士が仲良くなる集団遊び」というテーマで、学習会参加者がホントに"参加"して楽しみました。
 この集団ゲームを成功させるコツは「恥ずかしがらずにできる雰囲気をつくること」と「ルールをきちんと守ること」とのこと。全部で7種類のゲームを紹介されました。

 『勝利のポーズ・讃えるポース』(ガッツポーズや片膝ついて両手ヒラヒラポーズ等をみんなでやる):「ノリが良ければ成功するが、うまくいかないときもある」
 『後出しジャンケン』:後出しで勝つのは簡単だが、負けるのは結構難しい。
 (競争でキング・クイーンを選ぶ):最高齢の簑田さんが勝利
 『チクタクチクタクボーン』(だんだんとボーンの数を増やす)
 『熊がでたぞ』:一種の伝言ゲーム。班単位で競争
 『新聞乗り』:新聞の一面に3~4人で乗り、2班でジャンケン。負けた方は半分の面積になるので乗るのが大変
 『知恵の輪』:7~8人で輪を作り、手を離さずに体を入れ替え「知恵の輪」状態になる。それを時間を決めて他グループが解ければ勝ちでは、集団での難しさや面白さを実感
 『そーれ拍手』についてはメモがなく割愛します。申し訳ありません

(2)~(4)のすべての実践において岩崎さんのねらいの一つは「人間関係やコミュニケーション力を観察しリーダー候補を探しあてること」と聞きました(クラス役員決定の際、決定的に重要です)。「面白さ」の中に「教育的視点」を加えた岩崎実践のすばらしさを再認識した次第です。

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3月例会「授業開き・学級開きのノウハウ(1)」 [例会報告]

1.「私の授業開き~楽しいが一番のポイント~」(簑田 正一さん)
 
定年退職後もさまざまな学校で教壇に立っておられる簑田さんの報告です。

現在、「広域通信制高校」と「看護専門学校」と「リハビリ専門学校」の3校で生物(学)の授業・講義を行われているとのことで、特に「広域~」のK校を中心に話を進められました。

K校は受験産業が経営母体の株式会社立高等学校からスタートし、今年度から学校法人になったそうです。
不登校や中退を経験した生徒が入学(編入学)してレポートやスクーリングを経て、テストをクリアーすれば単位を修得できます。簑田さんは1年生で「科学と人間生活」、2年生で「生物基礎」を担当され、各々の教科書を4時間(50分×4)で終わるという超ハードスケジュールに直面されました。

最初の授業の際、これまでやってきたように「これは何でしょうか?どういう意味があるのでしょう?さあみんなで相談して」といったような発問と話し合い中心の"考えさせる授業"を披露するはずが、全く通用しなかったそうです。
「話し合えと言われても、年間数時間しか授業を受けない生徒同士の関係性の希薄さ(それも1時間目)を理解しておらず、準備していったすべてが白紙になりました」と簑田さんは述べられました。

その後は、心機一転、「(教科書を終わらせるためには)忙しいけれど、生徒にとって面白い授業(分野・教材)を心がける」ことに専念され、生徒たちの心を少しずつつかんでいかれました。

例えば、「科学と人間生活」の授業開きプリントでは、課題1として「ニワトリの絵を描いて下さい」、2として「サカナの絵を描いて下さい」、3として「授業者からの質問に答えて下さい」の三つの発問が投げかけられました。

1、2では、生徒たちの絵を見ると「ニワトリの足の数」(4本?)や「どこから捉えているか」(地面から見ている図)など多彩な答えがありますが「いろいろあって当然。むしろ個性があって良い」とまとめられるそうです(多様性の尊重)。

3は生徒集団により内容を変えますが、一番多いのが「なぜ、サカナを書くときに左向きか?」という発問です。
これは、今まで教えてこられた公立高校では正解が生徒から出ることはほとんどなかったそうですが、K校では一発で正答が出ました(これはこの文章の最後に掲載します)。「通信制高校の生徒の方が発想が自由なような気がします」とは簑田さんの弁です。

その他、「教科の中身より、生き方を語る方が生徒がイキイキする」や「生徒たちの興味をつかむことが重要。
例えば生物分野で言えば、生殖と遺伝」、「養護(支援)学校での経験が私にとって大きかった。
"型からはずれる"ことの大事さを初めて実感した」や「生物学でいう"多様性と共通性"の真の意味は、"いろんな人から学び共有する"ことだと気づいた」などのことばに感銘を受けました。

そして、レジメの最後の「たった一人の授業でなのに、なかなか集中してくれないMさん。仕方なく冬なのに南阿蘇の山の中腹で花を探すことに。しかし全く見つからず。探し回ったあげく、やっと見つけた花を前に2人で声を出して喜んだ。Mさんには予定していた学習はできなかったが、真剣に冬山で花を探し回った時間は、最高の"理科"の授業だったと思う」という主旨の文章に、簑田さんが考えている学習の本質があらわれていると感じました。

※「幼い頃からの図鑑等を見ての"刷り込み"。ほとんどの図鑑ではサカナは頭部が左向きに書いてある」 (ただし簑田さん曰く「現在はいろんな向きの図鑑もある」とのことです。)

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3月例会「授業開き・学級開きのノウハウ」 [お知らせ・連絡]

3月の学習会は、授業開き・学級開きのノウハウを蓑田・岩崎の両ベテランに、参加者が生徒になって、アクティビティ形式で学びます。

授業開きは、教科に対する学びの意欲を高め、これから一年間の授業に主体的に参加する意識を持たせる「生徒たちにとっては教科への出合い直しの時間」です。
蓑田先生は中学校での経験もあり、以前受けた生物の模擬授業は、アクティブラーニングでとても楽しかったことを覚えています。今回はどのようなネタが飛び出すか、楽しみです。

学級開きは、新しいクラスでお互いを知る「出会いの場」です。初めて出会う人たちばかりで緊張しています。
そんな見知らぬ同士が仲良くなるためには、早く打ちとけるためには、「集団遊び」が用いられます。
この集団ゲームを成功させるポイントは、いかにみんなが恥ずかしがらずにできる雰囲気をつくるか、ルールをきちんと作って参加できるかです。
グループ分けの方法や具体的な集団ゲームを学べます。

初めて担任を受け持つ先生、子どもたちの関係づくり・学級づくりに関心のある先生、中学生・高校生を担当している若い先生、皆さん、お誘いあわせの上、ご参加ください。

日時:3月25日(土) 14:00~16:00
場所:熊本大学教育学部3階 3-C教室
内容:授業開きと学級開きを学ぼう
(1)理科の授業開き
  蓑田正一さん(元文徳中・高校、生物)

(2)見知らぬ同士が仲良くなる「集団遊び」
  岩崎和彦さん(熊本農業高校)
  【集団ゲームの例】
  ・グループ分けの方法(じゃんけん、0~5、生まれ月)
  ・お約束 「勝利のポーズ」「讃えるポーズ」
  ・リーダーを知ろう「グループインタビュー」
  ・後出しじゃんけん(勝ち・負け)
  ・そーれ拍手
  ・チクタクチクタクボーン
  ・座布団乗り、新聞乗り
  ・知恵の輪
  ・熊が出たぞ(伝言ゲーム)
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2月例会報告「平和について考える授業づくり」 [例会報告]

 2月の学習会は、全国教研(新潟)で初めて報告された前田さんの授業実践でした。新潟での報告の後、佐賀で九協平和教育研究集会、そして熊本高生研と報告続きでしたが、さらに注文をつけて、「模擬授業形式でやってもらえないか?」と本番2日前に依頼しました。直接顔を見ていないのでその時の前田さんの本音はわかりませんが、快く?引き受けていただきました。

 年上しかいない(参加者11人)生徒相手にやわらかな語り口で、しっかりと考えさせられる授業が始まりました。

 「『平和』」の定義を理解し、当事者としての意識を持って、主体的に行動を起こす力をつけること」をねらいとして、(1)「平和」の概念のとらえ方をかえること、(2)直接的暴力がない状態である「消極的平和」と構造的暴力のない「積極的平和」をイメージさせることで、戦争体験のない生徒たちへの「人ごとでない、自分ごと」として突きつけること目的に授業が構成されている。

 毎日授業をしている私が、たまに授業を受ける側になると、「授業を受けて理解するって難しいな!!」と感じる。まずねらいが難しすぎる。「平和の定義」だけで50分かかりそうだ。なおかつ「当事者意識」を持ち、「生徒が主体的に行動する」ために授業を工夫する。そのようなことができるのだろうか?

 案の定、授業中でも「お構いなしの質問」が生徒から投げかけられる。これは、現場でも起こることだが、このクラス(高生研)では、授業者にとって背中に汗が流れる瞬間である。

 ここで前田さんは、「平和教育を軽くやりたかったんです」。この言葉から「前田さんの想い」が参加者へ伝播していく。
 18歳選挙権が始まり、「主権者教育の必要性」が謳われることで、逆に「生徒への指導」が難しくなってきている。参加者たちがそのことについて意見を出し合うと…。 「中立に指導すること」が強く求められ、見えないプレッシャーがあり、本当に伝えたいことを高校生に授業できない状況になってきている。
 「だからこそ肩に力を入れずに平和学習の時間を確保する取組をしたい」

 もう「模擬授業」ではなくなってきました(笑)。でもこれでいいのです。それだけ参加者が、この時間に入り込んでいるということですから。つかみはオッケーです。

 1学年を対象に、アメリカの従軍カメラマンだったジョー・オダネルによる写真集「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」の中の写真「焼き場に立つ少年」を使っての授業展開です。

Q1.この写真の第一印象は

Q2.この写真は、どのような状況の下で撮られたのか、想像してみよう。
 (1)いつ?
 (2)どこ?
 (3)この少年は何歳くらいで何をしているところ?

Q3.この写真にタイトルをつけてみよう。

 別紙資料を配付し、考えさせる。

Q4.この写真についてどういう事を知った?

 高校生に向けての実際の授業について質問が続く。生徒の様子、授業でのやりとりが聞き取られていく。
 「平和や戦争に対する考えの違いが、参加者それぞれであること」がわかってきた。これは一般的にも言えることで、「戦争経験世代、戦争経験世代の子の世代、孫の世代、何も関わりのない世代と多くの世代が存在し、どの世代に向けてまた戦争に関するどの段階と位置づけるのかが重要であること」がわかった。

 写真とは、「事実の一部」であり見たことから気づき、想像させる。感情がわき起こることで、当事者意識につながる。写真の人物を見て様々なことに気づく。
 しかし、この時代の事を知らない者にとって、写真の少年の気持ちになれるのだろうかという意見が出た。
 それに対して「この写真の子どもが、この日の日記を書くとしたらどう書いたと思うか想像して書いてみよう」
 「この子どもに手紙を送ってみよう」そうかっ!?
 なんと簡単な問いかけで、一気に考える立場や想いの移行ができるのだなと感心した。
 参加者から「当事者意識を持たせるにはどうすればいいのか?」についてすっきりした回答を得た気がして、自分でも実践してみたくなった。

 知識ではなく「自分がどう感じたか」に重点を置いて授業展開したので、生徒たちは自由な意見が出せたと前田さんは感想をもっている。

 この後は3年生に対して行った~「囚人のディレンマ」ゲームで紛争解決の難しさを知ろう~について報告を受けた。概要説明、質問、意見、議論と大いに盛り上がり、報告者の前田さんは高揚し、それに呼応するかのように参加者も満足げであった。2時間という学習時間では足りない内容であった。

 「そうだ、私たちはこのような場と時間を求めているんだ!!答えはわからなくてもいい、まずは自分が感じていることを誰かに話したいし、聞いてもらいたいのだ」と思う。
 言うのは簡単で実行するのは難しい。そんなことはわかっている。
 だからといって実践報告者に対して「すごいですね、大変でしたね、私もがんばります」そのような言葉をどれだけ掛け合ってもちっとも満足しない。

 私たちはきっと「言い合いたいのだ」と思う。「何がどうなるのか正しいのかどうすれば良かったのか」、答えは出なくていいから、答えに向かって話し合い続けることで、自分の中に何かが芽生えたり気づいたりすることが楽しいのだと思う。わかりやすく整然とこたえを教えてもらうよりも自分で時間をかけて気づきたいのだと思う。生徒も同じで、授業で与えられることよりも「自分が調べたこと」を信じる。

 最後に前田さんは「学校史を使った平和教育」に取り組みたいと言われた。自分の学校、地域、先輩の関わりをとおして身近で手軽でオリジナルで多くの先生が取り組みやすい展開にしたい。

 すごいですね、「学校史」は何処の学校にもあり、それでいて同じものは無い。各学校が取り組むに値する提案を伺ったところで時間切れでした。

 学習会の後に恒例となっている懇親会は、先ほどの熱も冷めず、時間いっぱい語り合った。学習会と懇親会で何が残るのか?何がわかるのか?文章にするのは難しい。初めて書く報告書は、3週間もかかった。普段、感覚で過ごしているので自分が理解したことを伝えることをしてこなかったからだ。

 2月の学習会がとても良かったってことが皆さんに伝わりますように。そしてこのような学習会に参加してみたいと思う人が増えますように。(吉田真一)

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2月例会「平和について考える授業づくり」 [お知らせ・連絡]

2月の学習会は、実践レポートです。

「平和について考える授業づくり」という内容で、甲佐高校の前田先生が、1年生の現代社会と3年生の政治経済で行われた授業実践を報告されます。一部を紹介します。

1年生では、写真「焼き場に立つ少年」についての情報を一切与えずに生徒に写真を提示し、写真が撮影された場所や時期、この少年の背景、気持ちなどを想像させる。思い思いに自分の考えを発言できるクラスの雰囲気があるおかげで、様々な視点からの意見が出た。

3年生では、世界の紛争地域についての単元。紛争が起こる理由を「当事国が自国のことばかり考えているから」「お互いに協力しようとしないから」など、当事国の不寛容を理由に挙げ、批判的に捉える生徒が多い。紛争は自己責任という捉え方には、当事者の視点は欠けてしまい、解決のための提案も浅いままで留まってしまう。また、近隣諸国の軍事力の拡大について「やられたらやり返す」という発想の意見を持つ子どもたちも少数だがいる。

協調か対立かを迫られたとき、自分の選択が、紛争を避け平和的解決に向かうきっかけになるのかを考えるため、「囚人のジレンマ」のゲームを行った。

二つの取り組みを実践してみて、子どもたちの柔軟な感性や意識の変容に触れることができた。普段の授業に比べて、知識に基づいて意見を述べることより、「自分がどう感じたか」に重点を置いて授業を展開したので、自由な意見が出され、それをもとに授業の内容も広がっていった。

生徒たちが主体的に考え、意見を交流させる「アクティブラーニング」のモデル授業になると思います。興味のある方を誘っておいで下さい。

日時:2月25日(土) 14:00~16:00
場所:熊本市東部公民館1F 和室(熊本東郵便局・東部市民センター隣)
学習内容:「平和について考える授業づくり」前田さん

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大会の成果「多様な人々(NPO)とのつながり 教育実践の質の問い直しへ」(白石) [例会報告]

 今年の県大会について考えるならば、「多様な分野の人とのつながり」という点では、成果があったと評価します。

 「NPOカタリ場」からの報告は、震災のため日常生活が喪失した子どもへの援助、あるいは学習支援など、学校だけでは対応できない支援などに関してのものでした。たしかに、学校は超多忙であり、地震後には、さらに慣れない仕事も加算され超過密になっていきます。そこで、「学校だけでは対応できないこと」に、NPOがかかわっていくという話になります。

 この議論の文脈では、教師の数が2倍になればよいので増員を要求するという運動の次元で考えない方がよいでしょう。NPOが学校教育の隙間を埋めてくれたので助かった、という感覚も違うと思います。

 そうではなくて、「学校では思いつかないようなことをNPOなら思いつく」という発想の転換が重要なのだ、と感じました。教員の数を増やすという「量」の次元ではなく、子どもにとって何が必要なのかを再考するというしごとの「質」を問いなおすためにこそ、NPOの知恵と経験が必要なのだ、と実感しました。

 ここに、多様な人々とつながることの意義をみます。私たち教師が「多忙で手が回らないから助けてもらう」という発想では、NPOの人々に対して失礼です。そうではなくて、「私たちが思いつかない発想を提供してもらう」ためにこそ、教育以外の人々との連携が必要なのだ、と思うのです。この発想を称して、哲学の表現を使うなら、「他者」「外部」との出会いと言います。

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大会報告「県大会で学んだこと」 [例会報告]

 NPO法人カタリバと益城町の教育委員会との連携においては、長期的・安定的な関わり方に学ぶ点が多くあった(とりあえず少人数で視察・「なんでもします」の姿勢・スキマ対応・ボランティアの受付業務を一手に引き受けなど)。財源的な部分での企業からの寄付の募り方には目からウロコの裏側まで知ることができた。

 被害の大きかった地区のある小学校の非常勤講師の方の話は、客観的な視座に立ったリアルな報告であった。「すべてのボランティアを受け入れよう」という学校の方針のもと「テレビの中でしか見られないスゴイ人」の訪問で毎日がイベント状態、ひと教室に山積みの行き場のない支援物資・・・その一方で職員の負担は?という問題提起。

 そんな中、熊日新聞の小多記者の方からの2つの補足発言がツボにはまった(学びが深まった)。
 ひとつは「受援力」という言葉。何でもかんでも支援をすべて受け入れるばかりでなく、今の自分たち(目の前の子どもたち)にとって本当にプラスになるか(もう少し後の方がいいか)、単発か長期的か、といったことを総合的に判断して「支援をどのように受け入れるか」を調整する力のこと。

 もうひとつは、M高校の生徒アンケートで「震災直後より数か月後に採ったアンケートの方が生徒の心理的状態が悪化している項目があった」という事実に絡んで、「一律に『語らせる』(もしくは思い出させないようにという意図で『語らせない』)というのはどうなのか。
 子どもによって語り出すタイミングは『まだら』であり、震災後数年経ってからやっとポツリポツリと語り出す子もいる。語れた子は安心で、語れない子はなんとか語れるようにせねばというのも何か違う」という指摘。

 大切なのは、いつでもどこでも語りたくなったときに語ることのできる環境づくりや、教師側のゆったりとした(近年問題視されている多忙感とは全く縁のない)姿勢ではないだろうか。

 学生の衛藤さん、Cさんのいう「後出しジャンケン」の実践が生まれ出てくる背景にもそのような〈人間らしさ〉を下地にしたゆったりした時間の中で生きている人たちが浮かんできた。

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大会報告「再開されていない小中学校の子どもたちへの支援をする学生ボランティア」 [例会報告]

 熊本大学教育学部4年生のCさんは、震災1週間後から学校がいまだ再開されていない小中学校の子どもたちへの支援をする学生ボランティアをされた。

 「最初は何をすればいいのか何もわからず、とにかく行って何が必要とされているかを聞く」ところからのスタート、ここでも衛藤さん同様「後出しジャンケン」という表現で活動過程を振り返っていた。

 1回目の訪問時、5名の学生に60名の小中学生。子ども・保護者からのニーズに応えた飽きない工夫を凝らしたタイムスケジュール。仕事のために子どもを見られない保護者からの期待と感謝。そのため当初3時までだった活動を4時,5時まで延長。ただでさえストレスのある子供たちにできるだけ「管理」したくない、との想いから「子供が自ら動きたくなる環境」を作り出そうといった取り組み・・・。

 以前読んだ「学校の成立条件とは何か」という論考(内田樹だったと記憶)を思い出した。素晴らしい教師が最初からいるのではなく、弟子(生徒)がいることで師になっていく、師であることを自覚していく、という論旨。15少年漂流記を例に説明がなされていた。

 Cさんに対する「子供の怪我や事故など危機管理に対する想定や対応は?」というフロアからの質問にも、「学校側の責任者である教頭、避難所運営の責任者である地域の会長、そして保護者関連はPTAの代表と、三者と連絡を密に取り合う」など、教師顔負けの対応をされていた。

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