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6月例会「熊本地震に教師と高校生はどう対応したか(その1)」 [例会報告]

 4月の地震に際して、寮にいた24名の生徒たちの安全確保と避難住民への対処に尽力された中田浩さん(仮名)の口頭での報告がありました。以下、時系列で概要を紹介します。

1 前震(4月14日・木)
 
 寮の舎監として宿泊することになっていた中田さんは、夜9時過ぎには自習室で2年生の作文指導をされていました。寮生は2、3年生の男子のみで24名でした(1年生は宿泊研修で不在)。
 
 9時26分に強烈な揺れがきました。中田さんは、とっさに机の下に身を隠すよう指示され、揺れが収まった時点で寮内の人員を確認し、各自携帯電話で保護者に連絡をとらせました。9時40分には、すべての家庭に連絡がとれましたが、ほとんどの保護者が翌日にしか迎えに来られないことが分かりました。

 中田さんは、校内に残っていた職員と相談し、体育館に避難することにしました。生徒たちは、余震におびえていましたが、非日常を楽しむ雰囲気もあったそうです。

 11時ごろには、地域に住む高齢者が数名体育館に避難されてきました。生徒たちは、外で車の交通整理をしたり、避難された方に毛布を配ったり、それなりに頑張っていました。中田さんは「24名という比較的少ない人数だったので、職員の指示も通り、生徒たちも動けたのでは」と振り返られました。 

2 休校(4月15日・金)

 翌日は休校となりました。午前中に三々五々保護者が迎えに来られ、昼過ぎには全員帰宅することができました(寮生の中には、遠距離通学の生徒が多いそうです)。
 
 中田さんの反省として「非常時だから指示をきちんとしなければならないが、今回は寮生だったから無事だったのかもしれない。もし、これが昼間の授業時だったら生徒をどこに避難させるかなど確認する点は多い」と述べられていました。

3 本震(4月16日・土)

 16日未明、また強烈な揺れがありました。中田さんは、学校近くの自宅で休んでいましたが、早朝には出勤し、押し寄せる避難住民(被災者)の交通整理に勤しみました。

 夕刻には、宿泊研修から1年生(200名以上)が帰校しました。ほとんどの生徒には保護者の迎えがありましたが、地震の被害が大きい地域に居住する4名だけが、体育館に宿泊することになりました。中田さんも同僚とともに一緒に寝泊まりすることになりました。

 学校の屋上にあるタンクの中にはかなりの水があり、被災者に飲料水を配給することができましたが、人数が多くトイレ等に大量に使用したため、16日夜には限界に近づいてきました。結局、一週間水道はストップしたままでした。

4 その後(4月17日~5月7日)
 
 17日(日)には、残された4名のうち1名は自宅に帰ることができました。他の3名は、水の確保に尽力しました。中田さんが自宅から持ってきた野菜ジュースを生徒たちは喜んで飲んでいました。

 18日(月)には1名が体調不良を訴え、近くの病院に養護教諭とともに連れていきました。学校に戻った昼過ぎに保護者が迎えに来られ、3名が帰ることができました。

 生徒がいなくなったことは良かったのですが、被災者への対応は、これからが本番でした。19日(火)以降、職員は交代で宿泊担当を決めていましたが、教員というのは気をつかう人が多く、結構な人数が泊まっていました。だいたいこのころがピークで全体では800名、体育館には400名の被災者がおられました。

 この高校は、二次避難所だったので、行政からは19日以降に担当者が1~2名来られました。ただし、担当が連日変わるため、引き継ぎがうまくいっていないようでした。

 22日(金)に自衛隊が物資を持って来られました。また広島や神戸から2名のペアで3~4日間応援に来られ、精神的な支えとなりました。職員やボランティアのまとめ役として、管理職夫人が素晴らしいリーダ-シップを発揮されたことも強調されていました。
 
 中田さんは「避難所で怖いことは、デマが不安をあおることです。確かな情報を伝えることが行政の役割ではないでしょうか」とまとめられました。

タグ:熊本地震
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