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5月例会報告「『困らせる人は困っている人』を思い出させてくれた!」 [例会報告]

今回の深久レポートの評価点として、参加者から大きく3つ出された。

 一つ目は、これまでの学校教育で傷ついてきたそれぞれの生徒達が、クラスでやってみたいことや、学校、教師への要望を出せている点。
 二つ目は、学級通信の効果。
 三つ目は、「困らせる人は困っている人」を改めて思い起させた点である。
 
 一つ目の、学校、教師への要望は主に授業改善の要望であったが、その要望が出せたのは、トランプゲームでの罰ゲームや「たこ焼き食べながらの『クラス会議』」など、遊びを通じて合意形成の下地を作ってきたことが大きかったとの意見が出された。
 
 二つ目の学級通信では、まず、1年ぶりに入学してきた生徒(昨年度は入学者0)や役員になってくれた保護者等への「ありがとうございます」の言葉が溢れていた。
 また、日常の学校生活の中で、生徒の頑張っている点を生徒の名前を挙げて積極的に評価していることが、生徒達をサポートしていきたいというレポーターの思いを、通信を読む者に伝えているという評価だった。
 
 三つ目は、「困らせる人は困っている人」で、私が一番ハッとした言葉だ。
 これは、授業中の立歩きやわめき、スマフォ使用等をするBさんの行状についてクラス討議する場面で、レポーターが他の生徒に語り掛けた言葉だ。
 私はこの言葉は、問題行動の生徒を突き放すのでもなく、かと言って過剰に擁護するのでもない、客観的視点を持った言葉だと思った。
 この言葉により、クラスの生徒は、なぜBさんがそういう行動を取るのかを冷静に考え、「授業の内容に問題があり、分からないのを分かるようにするのが先生達の仕事だ」や「授業が簡単すぎてもいけない」などの意見が出されていく。
 またそうした話し合いをBさんが聞くことで、授業中のわめき等、本人自身が認識していなかった行為等をクラス内で共有できたそうだ。
 Bさんはこの話し合いで意見を求められて1分ほどの沈黙を続け、話し合いの結論は出ずに終わったが、この時、Bさんは、自身の客観化の端緒を得たのではないかと思う。
 
 クラスは、その後、教科担当への要望書を作成することになる。
 このように、大方の参加者が「素晴らしい実践だ」と唸ったのだが、今後のアドバイスとして、生徒達が要望書を出そうとしているその教師自身も授業で「困っている」と思われるので、職員全体への要望にした方が良いとの意見等が出された。
 
 現在進行形の深久実践、続きが楽しみである。

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3月例会「授業開き・学級開きのノウハウ(2)」 [例会報告]

2.「仲間づくりと関係づくり~私のクラス開き~」(岩崎 和彦さん)
 
 熊本農業高校で「定年まで担任をめざしたい」と力強く宣言されている岩崎さんの緻密でアクティブな実践を報告します。
 「集団を構成する生徒同士のコミュニケ-ションつくり」のために入学式や始業式直後に実施している(1)学級開き資料、(2)他己紹介(生徒紹介)、(3)グループインタビュー、(4)集団遊びの4つを紹介されました。

(1)は、以前の学習会(『はじめての女子クラスを卒業させて』の実践)で細かく触れられましたので今回は簡単な説明のみでした(しかし、担任を持つ際に必ず配布する「所信表明」(指導方針を示すもの)は、私たちにも十分参考になるものだと思います)。

(2)は、「6~7人のグループを作らせ、そのグループ内 で自己紹介を行い、それをもとに他のグループに対してグループ内のだれかが、ある人の紹介を行う」というものです。例えば「私は福永信幸です。岩崎和彦さんを紹介します。岩崎さんは~な人です」→「私は福永信幸さんから紹介を受けた岩崎和彦です。簑田正一さんを紹介します。簑田さんは~な人です」 →「私は岩崎和彦さんから紹介を受けた簑田正一です…」というように必ず3回個人名が登場します。うまく紹介するためには、グループ内の自己紹介をよく聞く必要があります。

(3)は、「はじめて出会う人(クラスメートや教師)にグループでインタビューし、その人間像をグループでまとめ発表する」という企画です。
 基本的には、最低2時間程度かかるそうです。まず「インタビューの目的」(相手のことをより良く理解し、同時に仲間同士の理解を深める等)をきちんと生徒に提示し、その後具体的なやり方を示します。
 グループ内での自己紹介から始まり、「限られた時間で相手をよく知るためにはどのようなことをどのように聞けばよいか」をグループで相談します(作戦タイムⅠ)。
 そして「第1回インタビュー」となります。インタビュー後、個人でまとめ(どのようなことがわかったか、どのように推測できるか、疑問点はないか、さらにどのどのような質問をすればよいか等)を行い、グループで次の質問の作戦を立てます(作戦タイムⅡ)。
 そして「第2回インタビュー」を行った後、また個人でインタビューをした人の人間像をまとめます。さらにグループで各自のまとめを発表し、それらをもとに人間像を広用紙に整理します。
 最後に、この実習で感じたことや気づいたことをグループで自由に話し合い、その話を発表し、他グループと共有します。
 岩崎さんは「どんなことを聞けばよいかはあらかじめ準備しているが、すべて生徒に提示する必要はない。臨機応変に対応することが大事」と言われました。それは(3)の最後に記載された「注意」にもある「相手が答えにくいことやプライバシーの侵害になること」に十分留意しておられるのだと感じました。

(4)は、「見知らぬ同士が仲良くなる集団遊び」というテーマで、学習会参加者がホントに"参加"して楽しみました。
 この集団ゲームを成功させるコツは「恥ずかしがらずにできる雰囲気をつくること」と「ルールをきちんと守ること」とのこと。全部で7種類のゲームを紹介されました。

 『勝利のポーズ・讃えるポース』(ガッツポーズや片膝ついて両手ヒラヒラポーズ等をみんなでやる):「ノリが良ければ成功するが、うまくいかないときもある」
 『後出しジャンケン』:後出しで勝つのは簡単だが、負けるのは結構難しい。
 (競争でキング・クイーンを選ぶ):最高齢の簑田さんが勝利
 『チクタクチクタクボーン』(だんだんとボーンの数を増やす)
 『熊がでたぞ』:一種の伝言ゲーム。班単位で競争
 『新聞乗り』:新聞の一面に3~4人で乗り、2班でジャンケン。負けた方は半分の面積になるので乗るのが大変
 『知恵の輪』:7~8人で輪を作り、手を離さずに体を入れ替え「知恵の輪」状態になる。それを時間を決めて他グループが解ければ勝ちでは、集団での難しさや面白さを実感
 『そーれ拍手』についてはメモがなく割愛します。申し訳ありません

(2)~(4)のすべての実践において岩崎さんのねらいの一つは「人間関係やコミュニケーション力を観察しリーダー候補を探しあてること」と聞きました(クラス役員決定の際、決定的に重要です)。「面白さ」の中に「教育的視点」を加えた岩崎実践のすばらしさを再認識した次第です。

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3月例会「授業開き・学級開きのノウハウ(1)」 [例会報告]

1.「私の授業開き~楽しいが一番のポイント~」(簑田 正一さん)
 
定年退職後もさまざまな学校で教壇に立っておられる簑田さんの報告です。

現在、「広域通信制高校」と「看護専門学校」と「リハビリ専門学校」の3校で生物(学)の授業・講義を行われているとのことで、特に「広域~」のK校を中心に話を進められました。

K校は受験産業が経営母体の株式会社立高等学校からスタートし、今年度から学校法人になったそうです。
不登校や中退を経験した生徒が入学(編入学)してレポートやスクーリングを経て、テストをクリアーすれば単位を修得できます。簑田さんは1年生で「科学と人間生活」、2年生で「生物基礎」を担当され、各々の教科書を4時間(50分×4)で終わるという超ハードスケジュールに直面されました。

最初の授業の際、これまでやってきたように「これは何でしょうか?どういう意味があるのでしょう?さあみんなで相談して」といったような発問と話し合い中心の"考えさせる授業"を披露するはずが、全く通用しなかったそうです。
「話し合えと言われても、年間数時間しか授業を受けない生徒同士の関係性の希薄さ(それも1時間目)を理解しておらず、準備していったすべてが白紙になりました」と簑田さんは述べられました。

その後は、心機一転、「(教科書を終わらせるためには)忙しいけれど、生徒にとって面白い授業(分野・教材)を心がける」ことに専念され、生徒たちの心を少しずつつかんでいかれました。

例えば、「科学と人間生活」の授業開きプリントでは、課題1として「ニワトリの絵を描いて下さい」、2として「サカナの絵を描いて下さい」、3として「授業者からの質問に答えて下さい」の三つの発問が投げかけられました。

1、2では、生徒たちの絵を見ると「ニワトリの足の数」(4本?)や「どこから捉えているか」(地面から見ている図)など多彩な答えがありますが「いろいろあって当然。むしろ個性があって良い」とまとめられるそうです(多様性の尊重)。

3は生徒集団により内容を変えますが、一番多いのが「なぜ、サカナを書くときに左向きか?」という発問です。
これは、今まで教えてこられた公立高校では正解が生徒から出ることはほとんどなかったそうですが、K校では一発で正答が出ました(これはこの文章の最後に掲載します)。「通信制高校の生徒の方が発想が自由なような気がします」とは簑田さんの弁です。

その他、「教科の中身より、生き方を語る方が生徒がイキイキする」や「生徒たちの興味をつかむことが重要。
例えば生物分野で言えば、生殖と遺伝」、「養護(支援)学校での経験が私にとって大きかった。
"型からはずれる"ことの大事さを初めて実感した」や「生物学でいう"多様性と共通性"の真の意味は、"いろんな人から学び共有する"ことだと気づいた」などのことばに感銘を受けました。

そして、レジメの最後の「たった一人の授業でなのに、なかなか集中してくれないMさん。仕方なく冬なのに南阿蘇の山の中腹で花を探すことに。しかし全く見つからず。探し回ったあげく、やっと見つけた花を前に2人で声を出して喜んだ。Mさんには予定していた学習はできなかったが、真剣に冬山で花を探し回った時間は、最高の"理科"の授業だったと思う」という主旨の文章に、簑田さんが考えている学習の本質があらわれていると感じました。

※「幼い頃からの図鑑等を見ての"刷り込み"。ほとんどの図鑑ではサカナは頭部が左向きに書いてある」 (ただし簑田さん曰く「現在はいろんな向きの図鑑もある」とのことです。)

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2月例会報告「平和について考える授業づくり」 [例会報告]

 2月の学習会は、全国教研(新潟)で初めて報告された前田さんの授業実践でした。新潟での報告の後、佐賀で九協平和教育研究集会、そして熊本高生研と報告続きでしたが、さらに注文をつけて、「模擬授業形式でやってもらえないか?」と本番2日前に依頼しました。直接顔を見ていないのでその時の前田さんの本音はわかりませんが、快く?引き受けていただきました。

 年上しかいない(参加者11人)生徒相手にやわらかな語り口で、しっかりと考えさせられる授業が始まりました。

 「『平和』」の定義を理解し、当事者としての意識を持って、主体的に行動を起こす力をつけること」をねらいとして、(1)「平和」の概念のとらえ方をかえること、(2)直接的暴力がない状態である「消極的平和」と構造的暴力のない「積極的平和」をイメージさせることで、戦争体験のない生徒たちへの「人ごとでない、自分ごと」として突きつけること目的に授業が構成されている。

 毎日授業をしている私が、たまに授業を受ける側になると、「授業を受けて理解するって難しいな!!」と感じる。まずねらいが難しすぎる。「平和の定義」だけで50分かかりそうだ。なおかつ「当事者意識」を持ち、「生徒が主体的に行動する」ために授業を工夫する。そのようなことができるのだろうか?

 案の定、授業中でも「お構いなしの質問」が生徒から投げかけられる。これは、現場でも起こることだが、このクラス(高生研)では、授業者にとって背中に汗が流れる瞬間である。

 ここで前田さんは、「平和教育を軽くやりたかったんです」。この言葉から「前田さんの想い」が参加者へ伝播していく。
 18歳選挙権が始まり、「主権者教育の必要性」が謳われることで、逆に「生徒への指導」が難しくなってきている。参加者たちがそのことについて意見を出し合うと…。 「中立に指導すること」が強く求められ、見えないプレッシャーがあり、本当に伝えたいことを高校生に授業できない状況になってきている。
 「だからこそ肩に力を入れずに平和学習の時間を確保する取組をしたい」

 もう「模擬授業」ではなくなってきました(笑)。でもこれでいいのです。それだけ参加者が、この時間に入り込んでいるということですから。つかみはオッケーです。

 1学年を対象に、アメリカの従軍カメラマンだったジョー・オダネルによる写真集「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」の中の写真「焼き場に立つ少年」を使っての授業展開です。

Q1.この写真の第一印象は

Q2.この写真は、どのような状況の下で撮られたのか、想像してみよう。
 (1)いつ?
 (2)どこ?
 (3)この少年は何歳くらいで何をしているところ?

Q3.この写真にタイトルをつけてみよう。

 別紙資料を配付し、考えさせる。

Q4.この写真についてどういう事を知った?

 高校生に向けての実際の授業について質問が続く。生徒の様子、授業でのやりとりが聞き取られていく。
 「平和や戦争に対する考えの違いが、参加者それぞれであること」がわかってきた。これは一般的にも言えることで、「戦争経験世代、戦争経験世代の子の世代、孫の世代、何も関わりのない世代と多くの世代が存在し、どの世代に向けてまた戦争に関するどの段階と位置づけるのかが重要であること」がわかった。

 写真とは、「事実の一部」であり見たことから気づき、想像させる。感情がわき起こることで、当事者意識につながる。写真の人物を見て様々なことに気づく。
 しかし、この時代の事を知らない者にとって、写真の少年の気持ちになれるのだろうかという意見が出た。
 それに対して「この写真の子どもが、この日の日記を書くとしたらどう書いたと思うか想像して書いてみよう」
 「この子どもに手紙を送ってみよう」そうかっ!?
 なんと簡単な問いかけで、一気に考える立場や想いの移行ができるのだなと感心した。
 参加者から「当事者意識を持たせるにはどうすればいいのか?」についてすっきりした回答を得た気がして、自分でも実践してみたくなった。

 知識ではなく「自分がどう感じたか」に重点を置いて授業展開したので、生徒たちは自由な意見が出せたと前田さんは感想をもっている。

 この後は3年生に対して行った~「囚人のディレンマ」ゲームで紛争解決の難しさを知ろう~について報告を受けた。概要説明、質問、意見、議論と大いに盛り上がり、報告者の前田さんは高揚し、それに呼応するかのように参加者も満足げであった。2時間という学習時間では足りない内容であった。

 「そうだ、私たちはこのような場と時間を求めているんだ!!答えはわからなくてもいい、まずは自分が感じていることを誰かに話したいし、聞いてもらいたいのだ」と思う。
 言うのは簡単で実行するのは難しい。そんなことはわかっている。
 だからといって実践報告者に対して「すごいですね、大変でしたね、私もがんばります」そのような言葉をどれだけ掛け合ってもちっとも満足しない。

 私たちはきっと「言い合いたいのだ」と思う。「何がどうなるのか正しいのかどうすれば良かったのか」、答えは出なくていいから、答えに向かって話し合い続けることで、自分の中に何かが芽生えたり気づいたりすることが楽しいのだと思う。わかりやすく整然とこたえを教えてもらうよりも自分で時間をかけて気づきたいのだと思う。生徒も同じで、授業で与えられることよりも「自分が調べたこと」を信じる。

 最後に前田さんは「学校史を使った平和教育」に取り組みたいと言われた。自分の学校、地域、先輩の関わりをとおして身近で手軽でオリジナルで多くの先生が取り組みやすい展開にしたい。

 すごいですね、「学校史」は何処の学校にもあり、それでいて同じものは無い。各学校が取り組むに値する提案を伺ったところで時間切れでした。

 学習会の後に恒例となっている懇親会は、先ほどの熱も冷めず、時間いっぱい語り合った。学習会と懇親会で何が残るのか?何がわかるのか?文章にするのは難しい。初めて書く報告書は、3週間もかかった。普段、感覚で過ごしているので自分が理解したことを伝えることをしてこなかったからだ。

 2月の学習会がとても良かったってことが皆さんに伝わりますように。そしてこのような学習会に参加してみたいと思う人が増えますように。(吉田真一)

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大会の成果「多様な人々(NPO)とのつながり 教育実践の質の問い直しへ」(白石) [例会報告]

 今年の県大会について考えるならば、「多様な分野の人とのつながり」という点では、成果があったと評価します。

 「NPOカタリ場」からの報告は、震災のため日常生活が喪失した子どもへの援助、あるいは学習支援など、学校だけでは対応できない支援などに関してのものでした。たしかに、学校は超多忙であり、地震後には、さらに慣れない仕事も加算され超過密になっていきます。そこで、「学校だけでは対応できないこと」に、NPOがかかわっていくという話になります。

 この議論の文脈では、教師の数が2倍になればよいので増員を要求するという運動の次元で考えない方がよいでしょう。NPOが学校教育の隙間を埋めてくれたので助かった、という感覚も違うと思います。

 そうではなくて、「学校では思いつかないようなことをNPOなら思いつく」という発想の転換が重要なのだ、と感じました。教員の数を増やすという「量」の次元ではなく、子どもにとって何が必要なのかを再考するというしごとの「質」を問いなおすためにこそ、NPOの知恵と経験が必要なのだ、と実感しました。

 ここに、多様な人々とつながることの意義をみます。私たち教師が「多忙で手が回らないから助けてもらう」という発想では、NPOの人々に対して失礼です。そうではなくて、「私たちが思いつかない発想を提供してもらう」ためにこそ、教育以外の人々との連携が必要なのだ、と思うのです。この発想を称して、哲学の表現を使うなら、「他者」「外部」との出会いと言います。

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大会報告「県大会で学んだこと」 [例会報告]

 NPO法人カタリバと益城町の教育委員会との連携においては、長期的・安定的な関わり方に学ぶ点が多くあった(とりあえず少人数で視察・「なんでもします」の姿勢・スキマ対応・ボランティアの受付業務を一手に引き受けなど)。財源的な部分での企業からの寄付の募り方には目からウロコの裏側まで知ることができた。

 被害の大きかった地区のある小学校の非常勤講師の方の話は、客観的な視座に立ったリアルな報告であった。「すべてのボランティアを受け入れよう」という学校の方針のもと「テレビの中でしか見られないスゴイ人」の訪問で毎日がイベント状態、ひと教室に山積みの行き場のない支援物資・・・その一方で職員の負担は?という問題提起。

 そんな中、熊日新聞の小多記者の方からの2つの補足発言がツボにはまった(学びが深まった)。
 ひとつは「受援力」という言葉。何でもかんでも支援をすべて受け入れるばかりでなく、今の自分たち(目の前の子どもたち)にとって本当にプラスになるか(もう少し後の方がいいか)、単発か長期的か、といったことを総合的に判断して「支援をどのように受け入れるか」を調整する力のこと。

 もうひとつは、M高校の生徒アンケートで「震災直後より数か月後に採ったアンケートの方が生徒の心理的状態が悪化している項目があった」という事実に絡んで、「一律に『語らせる』(もしくは思い出させないようにという意図で『語らせない』)というのはどうなのか。
 子どもによって語り出すタイミングは『まだら』であり、震災後数年経ってからやっとポツリポツリと語り出す子もいる。語れた子は安心で、語れない子はなんとか語れるようにせねばというのも何か違う」という指摘。

 大切なのは、いつでもどこでも語りたくなったときに語ることのできる環境づくりや、教師側のゆったりとした(近年問題視されている多忙感とは全く縁のない)姿勢ではないだろうか。

 学生の衛藤さん、Cさんのいう「後出しジャンケン」の実践が生まれ出てくる背景にもそのような〈人間らしさ〉を下地にしたゆったりした時間の中で生きている人たちが浮かんできた。

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大会報告「再開されていない小中学校の子どもたちへの支援をする学生ボランティア」 [例会報告]

 熊本大学教育学部4年生のCさんは、震災1週間後から学校がいまだ再開されていない小中学校の子どもたちへの支援をする学生ボランティアをされた。

 「最初は何をすればいいのか何もわからず、とにかく行って何が必要とされているかを聞く」ところからのスタート、ここでも衛藤さん同様「後出しジャンケン」という表現で活動過程を振り返っていた。

 1回目の訪問時、5名の学生に60名の小中学生。子ども・保護者からのニーズに応えた飽きない工夫を凝らしたタイムスケジュール。仕事のために子どもを見られない保護者からの期待と感謝。そのため当初3時までだった活動を4時,5時まで延長。ただでさえストレスのある子供たちにできるだけ「管理」したくない、との想いから「子供が自ら動きたくなる環境」を作り出そうといった取り組み・・・。

 以前読んだ「学校の成立条件とは何か」という論考(内田樹だったと記憶)を思い出した。素晴らしい教師が最初からいるのではなく、弟子(生徒)がいることで師になっていく、師であることを自覚していく、という論旨。15少年漂流記を例に説明がなされていた。

 Cさんに対する「子供の怪我や事故など危機管理に対する想定や対応は?」というフロアからの質問にも、「学校側の責任者である教頭、避難所運営の責任者である地域の会長、そして保護者関連はPTAの代表と、三者と連絡を密に取り合う」など、教師顔負けの対応をされていた。

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県大会報告「熊本大学生は、避難者の受け入れ態勢をどのように組織したか?」 [例会報告]

 熊本大学の学園祭実行委員長をやっていた衛藤豊さんは、前震の際に勝手連的にボランティア活動していた各サークルなどの代表者たちと、本震の時には連携して避難者を受け入れるボランティア組織を結成する。

 質問のやり取りを通して「おもしろい」と思ったことは「後出しジャンケン」という表現。「枠組み」が先にあるのではなく、「後出しジャンケン」のように、避難者からの要望や避難所としての必要性に応じて「受付、清掃、看護、支援物資」などの仕事内容が決まり、のべ200名にもなるボランティアの学生の「ローテーション」の割り振りを行っていった。

 特に感心というか、学ばせてもらった点は、避難者からのクレームに近いような要求にも「後出しジャンケン」で柔軟に対応されていた点。認知症の方の徘徊や赤ん坊の夜泣きに対応するための夜間シフトを入れたり、ゴミの分別に英語の表記を入れたり、近隣の買い物ができるようになったお店の復旧情報をはり出したり・・・先回りせず地に足のついたこれらの対応。だからこそ「避難者にとって安心できる」避難所としてマスコミ等でよく取り上げられたのではないか、と思った。
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県大会報告「熊本地震に教師と高校生はどう対応したか(その2)」 [例会報告]

 震災発生直後、寮生を避難させていた高校教員の中田浩さん(仮名)さんは、「余震がある中、勝手に寮に入っていく(部屋にモノをとるために)生徒たちの危機管理をどう指導するか」で、自分はコワモテの生徒たちにビシッと言うことを聞かせるタイプではないから、と悩まれていた。
 
 けれども一方で、「近く(2,3Km)の大型ショッピングモールが燃えている!」というSNS上の情報(その後デマであることが判明)に沸き立ち落ち着かない生徒たちに「煙がここまで来るの?」「あなたの家族がそこにいるの?」と冷静に応答し、いま何を考え、行動しなくてはならないか、大事なことは目の前にあることを生徒たちに伝えている。大変緊迫した中での優れた応答場面だと感じた。

 では危機管理の点は・・・。そもそも管理とは、生徒の命や権利を守るために初めて許される行為なはず。「ビシッと言うことを聞かせるタイプ」がいい場合(教師にとって?)もあるかもしれないが、そうとも限らない。
 例えば東北地方に伝わる「津波てんでんこ」(津波の時は周りにかまわず各自が自分の命を第一にてんでバラバラに逃げること)の教えは、管理もへったくれもない。管理することとは真逆の発想であり、そこには先人たちの経験からくる知恵や、人間と自然の関係をとらえる哲学まで垣間見える。
 
 また「ビシッと・・・」の環境では集団がより良くなっていくための生命線ともいうべき「異議申し立て」が出にくいという欠点もある。ではどうしたらよかったか。
 
 「余震のある中勝手に寮に入っていく生徒たち」の要求はなんら反社会的なものではなく、「まっとうな異議申し立て」という見立てができれば、例えば、全寮生に「それでも各自が勝手に部屋に戻るというのはあなた達の命を預かっている身としてはどうしても見逃せない」ことを伝え、「必要なモノを取りに行きたい生徒は、決まった時間帯に教員立会いの下でその時間に取りに行くこと。その場合一人ではなく数名で入ること」などの合意を図ればよかったのではないか。
 
 「その間に大地震が来たら大きな責任問題に・・・」の心配の声が聞こえてきそうだが、いやいや放っておいたら「不特定の生徒が勝手に好きなときに」の状態なのだから、そのずさんさと比べたら・・・。

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6月例会「熊本地震に教師と高校生はどう対応したか(その1)」 [例会報告]

 4月の地震に際して、寮にいた24名の生徒たちの安全確保と避難住民への対処に尽力された中田浩さん(仮名)の口頭での報告がありました。以下、時系列で概要を紹介します。

1 前震(4月14日・木)
 
 寮の舎監として宿泊することになっていた中田さんは、夜9時過ぎには自習室で2年生の作文指導をされていました。寮生は2、3年生の男子のみで24名でした(1年生は宿泊研修で不在)。
 
 9時26分に強烈な揺れがきました。中田さんは、とっさに机の下に身を隠すよう指示され、揺れが収まった時点で寮内の人員を確認し、各自携帯電話で保護者に連絡をとらせました。9時40分には、すべての家庭に連絡がとれましたが、ほとんどの保護者が翌日にしか迎えに来られないことが分かりました。

 中田さんは、校内に残っていた職員と相談し、体育館に避難することにしました。生徒たちは、余震におびえていましたが、非日常を楽しむ雰囲気もあったそうです。

 11時ごろには、地域に住む高齢者が数名体育館に避難されてきました。生徒たちは、外で車の交通整理をしたり、避難された方に毛布を配ったり、それなりに頑張っていました。中田さんは「24名という比較的少ない人数だったので、職員の指示も通り、生徒たちも動けたのでは」と振り返られました。 

2 休校(4月15日・金)

 翌日は休校となりました。午前中に三々五々保護者が迎えに来られ、昼過ぎには全員帰宅することができました(寮生の中には、遠距離通学の生徒が多いそうです)。
 
 中田さんの反省として「非常時だから指示をきちんとしなければならないが、今回は寮生だったから無事だったのかもしれない。もし、これが昼間の授業時だったら生徒をどこに避難させるかなど確認する点は多い」と述べられていました。

3 本震(4月16日・土)

 16日未明、また強烈な揺れがありました。中田さんは、学校近くの自宅で休んでいましたが、早朝には出勤し、押し寄せる避難住民(被災者)の交通整理に勤しみました。

 夕刻には、宿泊研修から1年生(200名以上)が帰校しました。ほとんどの生徒には保護者の迎えがありましたが、地震の被害が大きい地域に居住する4名だけが、体育館に宿泊することになりました。中田さんも同僚とともに一緒に寝泊まりすることになりました。

 学校の屋上にあるタンクの中にはかなりの水があり、被災者に飲料水を配給することができましたが、人数が多くトイレ等に大量に使用したため、16日夜には限界に近づいてきました。結局、一週間水道はストップしたままでした。

4 その後(4月17日~5月7日)
 
 17日(日)には、残された4名のうち1名は自宅に帰ることができました。他の3名は、水の確保に尽力しました。中田さんが自宅から持ってきた野菜ジュースを生徒たちは喜んで飲んでいました。

 18日(月)には1名が体調不良を訴え、近くの病院に養護教諭とともに連れていきました。学校に戻った昼過ぎに保護者が迎えに来られ、3名が帰ることができました。

 生徒がいなくなったことは良かったのですが、被災者への対応は、これからが本番でした。19日(火)以降、職員は交代で宿泊担当を決めていましたが、教員というのは気をつかう人が多く、結構な人数が泊まっていました。だいたいこのころがピークで全体では800名、体育館には400名の被災者がおられました。

 この高校は、二次避難所だったので、行政からは19日以降に担当者が1~2名来られました。ただし、担当が連日変わるため、引き継ぎがうまくいっていないようでした。

 22日(金)に自衛隊が物資を持って来られました。また広島や神戸から2名のペアで3~4日間応援に来られ、精神的な支えとなりました。職員やボランティアのまとめ役として、管理職夫人が素晴らしいリーダ-シップを発揮されたことも強調されていました。
 
 中田さんは「避難所で怖いことは、デマが不安をあおることです。確かな情報を伝えることが行政の役割ではないでしょうか」とまとめられました。

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