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県大会報告「熊本大学生は、避難者の受け入れ態勢をどのように組織したか?」 [例会報告]

 熊本大学の学園祭実行委員長をやっていた衛藤豊さんは、前震の際に勝手連的にボランティア活動していた各サークルなどの代表者たちと、本震の時には連携して避難者を受け入れるボランティア組織を結成する。

 質問のやり取りを通して「おもしろい」と思ったことは「後出しジャンケン」という表現。「枠組み」が先にあるのではなく、「後出しジャンケン」のように、避難者からの要望や避難所としての必要性に応じて「受付、清掃、看護、支援物資」などの仕事内容が決まり、のべ200名にもなるボランティアの学生の「ローテーション」の割り振りを行っていった。

 特に感心というか、学ばせてもらった点は、避難者からのクレームに近いような要求にも「後出しジャンケン」で柔軟に対応されていた点。認知症の方の徘徊や赤ん坊の夜泣きに対応するための夜間シフトを入れたり、ゴミの分別に英語の表記を入れたり、近隣の買い物ができるようになったお店の復旧情報をはり出したり・・・先回りせず地に足のついたこれらの対応。だからこそ「避難者にとって安心できる」避難所としてマスコミ等でよく取り上げられたのではないか、と思った。
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県大会報告「熊本地震に教師と高校生はどう対応したか(その2)」 [例会報告]

 震災発生直後、寮生を避難させていた高校教員の中田浩さん(仮名)さんは、「余震がある中、勝手に寮に入っていく(部屋にモノをとるために)生徒たちの危機管理をどう指導するか」で、自分はコワモテの生徒たちにビシッと言うことを聞かせるタイプではないから、と悩まれていた。
 
 けれども一方で、「近く(2,3Km)の大型ショッピングモールが燃えている!」というSNS上の情報(その後デマであることが判明)に沸き立ち落ち着かない生徒たちに「煙がここまで来るの?」「あなたの家族がそこにいるの?」と冷静に応答し、いま何を考え、行動しなくてはならないか、大事なことは目の前にあることを生徒たちに伝えている。大変緊迫した中での優れた応答場面だと感じた。

 では危機管理の点は・・・。そもそも管理とは、生徒の命や権利を守るために初めて許される行為なはず。「ビシッと言うことを聞かせるタイプ」がいい場合(教師にとって?)もあるかもしれないが、そうとも限らない。
 例えば東北地方に伝わる「津波てんでんこ」(津波の時は周りにかまわず各自が自分の命を第一にてんでバラバラに逃げること)の教えは、管理もへったくれもない。管理することとは真逆の発想であり、そこには先人たちの経験からくる知恵や、人間と自然の関係をとらえる哲学まで垣間見える。
 
 また「ビシッと・・・」の環境では集団がより良くなっていくための生命線ともいうべき「異議申し立て」が出にくいという欠点もある。ではどうしたらよかったか。
 
 「余震のある中勝手に寮に入っていく生徒たち」の要求はなんら反社会的なものではなく、「まっとうな異議申し立て」という見立てができれば、例えば、全寮生に「それでも各自が勝手に部屋に戻るというのはあなた達の命を預かっている身としてはどうしても見逃せない」ことを伝え、「必要なモノを取りに行きたい生徒は、決まった時間帯に教員立会いの下でその時間に取りに行くこと。その場合一人ではなく数名で入ること」などの合意を図ればよかったのではないか。
 
 「その間に大地震が来たら大きな責任問題に・・・」の心配の声が聞こえてきそうだが、いやいや放っておいたら「不特定の生徒が勝手に好きなときに」の状態なのだから、そのずさんさと比べたら・・・。

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6月例会「熊本地震に教師と高校生はどう対応したか(その1)」 [例会報告]

 4月の地震に際して、寮にいた24名の生徒たちの安全確保と避難住民への対処に尽力された中田浩さん(仮名)の口頭での報告がありました。以下、時系列で概要を紹介します。

1 前震(4月14日・木)
 
 寮の舎監として宿泊することになっていた中田さんは、夜9時過ぎには自習室で2年生の作文指導をされていました。寮生は2、3年生の男子のみで24名でした(1年生は宿泊研修で不在)。
 
 9時26分に強烈な揺れがきました。中田さんは、とっさに机の下に身を隠すよう指示され、揺れが収まった時点で寮内の人員を確認し、各自携帯電話で保護者に連絡をとらせました。9時40分には、すべての家庭に連絡がとれましたが、ほとんどの保護者が翌日にしか迎えに来られないことが分かりました。

 中田さんは、校内に残っていた職員と相談し、体育館に避難することにしました。生徒たちは、余震におびえていましたが、非日常を楽しむ雰囲気もあったそうです。

 11時ごろには、地域に住む高齢者が数名体育館に避難されてきました。生徒たちは、外で車の交通整理をしたり、避難された方に毛布を配ったり、それなりに頑張っていました。中田さんは「24名という比較的少ない人数だったので、職員の指示も通り、生徒たちも動けたのでは」と振り返られました。 

2 休校(4月15日・金)

 翌日は休校となりました。午前中に三々五々保護者が迎えに来られ、昼過ぎには全員帰宅することができました(寮生の中には、遠距離通学の生徒が多いそうです)。
 
 中田さんの反省として「非常時だから指示をきちんとしなければならないが、今回は寮生だったから無事だったのかもしれない。もし、これが昼間の授業時だったら生徒をどこに避難させるかなど確認する点は多い」と述べられていました。

3 本震(4月16日・土)

 16日未明、また強烈な揺れがありました。中田さんは、学校近くの自宅で休んでいましたが、早朝には出勤し、押し寄せる避難住民(被災者)の交通整理に勤しみました。

 夕刻には、宿泊研修から1年生(200名以上)が帰校しました。ほとんどの生徒には保護者の迎えがありましたが、地震の被害が大きい地域に居住する4名だけが、体育館に宿泊することになりました。中田さんも同僚とともに一緒に寝泊まりすることになりました。

 学校の屋上にあるタンクの中にはかなりの水があり、被災者に飲料水を配給することができましたが、人数が多くトイレ等に大量に使用したため、16日夜には限界に近づいてきました。結局、一週間水道はストップしたままでした。

4 その後(4月17日~5月7日)
 
 17日(日)には、残された4名のうち1名は自宅に帰ることができました。他の3名は、水の確保に尽力しました。中田さんが自宅から持ってきた野菜ジュースを生徒たちは喜んで飲んでいました。

 18日(月)には1名が体調不良を訴え、近くの病院に養護教諭とともに連れていきました。学校に戻った昼過ぎに保護者が迎えに来られ、3名が帰ることができました。

 生徒がいなくなったことは良かったのですが、被災者への対応は、これからが本番でした。19日(火)以降、職員は交代で宿泊担当を決めていましたが、教員というのは気をつかう人が多く、結構な人数が泊まっていました。だいたいこのころがピークで全体では800名、体育館には400名の被災者がおられました。

 この高校は、二次避難所だったので、行政からは19日以降に担当者が1~2名来られました。ただし、担当が連日変わるため、引き継ぎがうまくいっていないようでした。

 22日(金)に自衛隊が物資を持って来られました。また広島や神戸から2名のペアで3~4日間応援に来られ、精神的な支えとなりました。職員やボランティアのまとめ役として、管理職夫人が素晴らしいリーダ-シップを発揮されたことも強調されていました。
 
 中田さんは「避難所で怖いことは、デマが不安をあおることです。確かな情報を伝えることが行政の役割ではないでしょうか」とまとめられました。

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5月例会報告「被災地での若者たち」 [通信原稿]

 熊本は、4月14日夜の前震と16日未明の本震の最高震度7を初め一千回を超える震度1以上の余震が5月の末になっても続いていた。
 4月の例会では、まず会員の無事確認、実態報告情報交換、勤務先学校の対応状況などを話し合った。5月例会では、地元地方紙「熊本日々新聞」に掲載された、自主的にボランティア活動に関わった高校生の報告会の動画を視聴することから始めた。

1.被災地での若者たち

 この生徒たちは、浦崎さんが勤務する熊本学園大付属高の生徒で、H君、E君、Tさん、Hさん、Aさんの5名である。熊日記事によるとH君は益城町の自宅で被災し、避難生活を送りながらグランメッセ熊本(大型展示場)でボランティアを続けた。「最初の数日は町役場の人が懸命に動いてくれたけど、代わる人がいなかった」。一つの自治体で対応できるレベルを超えた被害の大きさを感じ、少しでもサポートしようと「友達と一緒に支援物資の仕分けを始めました」。

 E君とHさんは、熊本市東区の中学校で避難者を支えた。学校側の態勢が整う前から大学生らと乗り入れ自動車の整理をしたり、物資を配分したり。「あなたたちがいるから生活できる」との感謝の言葉に感激したという。子ども連れもいれば、足腰の弱い高齢者もいた。さまざまな人が地域で暮らしていることをあらためて理解し、物資受け取りの列に並べない人たちに「私たちが直接配って回った」とHさん。一律のルールだけではなく、きめ細かな支援の必要性を体感した。

 Aさんが身を寄せた熊本市中央区の避難先は、住民のつながりが深く、「みんなで買い出しに行き、食事をつくるような活動ができた」。ただ、避難者宅を狙った窃盗事件が近所であり、「絶対に許せない」と憤った。

 Tさんは支援のため、益城町や西原村、熊本市東区などを回る機会があった。つぶれた家々を見て、テレビからは伝わらない現実に圧倒された。この現状がどう把握されているのか。「仮設住宅の建設など必要な支援を急ぐべきだと感じました」。

 ボランティア活動を通じ、「人の欲」も垣間見えたという5人。支援物資を必要以上に持っていったり、喫煙場所を守らなかったりする人に注意すると、逆に責められ傷付いたこともあったそうである。この地震前に18歳になったH君は「様々な状況にある人たちに行政や政治は目を向けて欲しい」。「政治への関心はあまりなかった」というI君は「リーダーが重要だと避難所でも感じた。政治家を選ぶ選挙もしっかり考えて投票しないといけないと感じた」と被災経験を糧にした発言をしている。
 
2.視聴後の討論・意見発表

 「被災者を前にして、誰が先頭に立ってやるのだろうかと躊躇することはない。自らが行動を起すことが必要」。「お互いに声掛けが大切。誰がやらねばならないという決まりは無い。行動を起す事で、その場が活気づく」。「こんな場面で、お互いに声かけができるような普段からの挨拶などの意思疎通が非常に大切である」。「避難所の運営は、そこに集まった限られたマンパワーとその知恵と技術、技能を集めて運営しなければならない。今回、避難所に関わることで、この高校生たちは様々な事を学んだ。まさに、アクティブラーニングであった」。

 また、余震が続く中でのこれからの「心のケア」については、「子どもたち、生徒たちの心に寄り添うことが大切で、『皆同じだよ』等の声掛けが大切」。また、この状況を「逆手に取った」遊びなどもあるのではと紹介されたのは、「肩車して、揺らし『今のは、震度何?』(これは小学生低学年までか…)」。このような意見が出ました。

3.これからの事

 熊日記事の最後には地元大学生3人の声も掲載されている。「人手不足の所へ日替わりで足を運んだ。全国から支援に駆け付ける人々の熱意に触れ、協力し合う意義を痛感。一方で収集が追い付かず放置された災害ゴミを見て、できることなら自分で収集に当たりたいと思うほどだった」。不便さを強いられている障がい者と接した学生は「弱い立場の人に社会がどう向き合っているか。先送りしてきた課題が震災で浮き彫りになっている」。と指摘。また、女子大生の1人は学内の避難所で活動。ストレスが日毎に強まる避難者を見て、長期に亘る適切な支援の重要性を感じたという。と同時に「震災がなければ出会わなかった人とも会話ができた。」と被災地の厳しさも前向きに捉え、改めて社会に目を向けたと報告している。

 他の誰からどうのこうのと言われるまでもなく、一人の人間として目前の現実に対して、仲間とどう手をつなぎ乗り越えていくのかを考え行動に移していく若者の姿を見る事ができ、私たちが願う民主的主権者とだぶります。

 一方、2022年度に導入予定の公民の必修科目「公共」では、①公共の扉、②自立した主体として国家・社会に参画し、他者と恊働するために、③持続可能な社会づくりの主体となるために−の主要3項目で構成されている。今回の記事の生徒・学生はこの「公共」の実践者であると言える思うが、今後この「公共」がどのように展開されていくか注意深く見ていく必要もある。

 最後に、次回6月25日(土)の熊本高生研例会学習会では、浦崎さんの「アクティブ・ラーニングの時代が来た!」(仮題)の模擬授業実践がある事を申し添えておきます。
                               報告者 正清 裕一

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サラ・ブラウン 「情報弱者」になりがちな外国人に英訳提供を [通信原稿]

1 はじめに

 26年度に約28万4千人の外国人観光客が熊本県を訪ねた。そして平成27年度の国勢調査によると、熊本県に住む外国人は10,767人(人口の約0.6%)である。そのうち、私が所属しているJETプログラム(総務省、外務省、と文部省が共に管理する「語学指導等を行う外国青年招致事業」の略)は133人という少人数であるが、結びつきが強いコミュニティーなので日常的に情報交換や問題解決をSNSで行っている。

 私は平成22年から熊本県立菊池高校に外国語指導助手として長く勤務し、日本語能力を磨く機会を多く与えられてきた。例えば、車の購入や携帯の契約内容変更、さらには病院での診察に付き添うなど翻訳・通訳の依頼に多く応えてきた。しかし、たいていのJET参加者はこれほど長く日本に滞在していないため、日本語に慣れていない者が多い。

 彼らと同じように、日本語を使いこなせない在留外国人は、知り合いやボランティアに色々頼まなければいけない時がある。そんな外国人が、非常時に庁や市役所などの公の側からのサポートを期待することは、不当な要求だろうか。年におよそ29万人の外国人が熊本を訪れるのだから、災害発生時の情報の多言語化は最低限必要であるはずだ。
 在留資格(ビザ)の所有者は市町村に転入する際、日本人と同じ手続きをする他に在留カードを市町村長に発行してもらうことも必要である。従って、各自治体は在留外国人の人数と母国語を把握しているにもかかわらず、必要な情報を用意する義務を怠っていると思われる。在留カードを発行するのと同時に、パンフレットを渡す程度はできるはずだ。

 日本の経済と地方の活性化に貢献している外国人に、生活面で必要な情報をやさしい日本語でも提供しない自治体であるため、言うまでもなく各地の祭りなどのイベント情報も入手不可能である。
 そこで、熊本県をもっと知りたい・もっと楽しみたい日本語に不慣れな外国人のため、熊本学園大学の講師であるアメリカ人2人が2011年にKumamoto-I(クマモトインターナショナル)のFacebookページを立ち上げた。そして、SNSの特徴である拡散性を利用し、熊本県に関する情報発信を始めた。普段JET参加者に英訳を提供してきた私が、Kumamoto-Iの管理者にページのことを紹介されて「編集者になってくれん?」というオファーを頂き、編集者になったのは4月14日の前震の2週間前である。そして、初めて投稿したのが地震の直後であった。

2 地震前後の行動

 たまたま4月14日に私用で福岡アメリカ領事館を訪問したのだが、その際突然スタッフに声をかけられ、非常時に連絡を取れる熊本の代表になるよう依頼された。引き受けて熊本に帰ると、その夜9時46分頃一回目の地震が発生した。早速領事館から電話があり、アメリカ人の安否確認に協力してほしいとのことだった。熊本に住むアメリカ人は300人ぐらいしかいないが、会ったことがない人のほうが多いのであらゆるネットワークを使用し、なんとかケガ人や助けの必要な人はいないと伝えることができた。16日の早朝も安否確認を頼まれた。それから19日まで領事館のスタッフに熊本とアメリカ人の状況を毎日伝え続けた。
 
 避難所がどこにあるのか、何を持っていけば良いのかわからない人がいるだろうと思い、熊本在住のJET参加者が利用するFacebookグループにその情報を投稿した。さらに、Kumamoto-Iのメンバーにその情報を必要とする人がいるかもしれないと考えてKumamoto-Iのページにも載せた。
 その後、Kumamoto-Iに県内外と国内外の人々からたくさんのメッセージが届きはじめた。「熊本に物資届けたいけどどんな道で行けばいいですか」や「私の親戚は○○市の○区に住んでますが、連絡とってもらえますか」や「ゴールデンウィークは熊本城と黒川温泉に行く予定だけど、まだ行けると思う?電車とか大丈夫と思う?」など、メッセージの内容は様々だった。
 一番記憶に残った質問は16日の昼ごろにきた。来日したばかりの若いアメリカ人の母親からのもので、「私の息子が14日の夕方に成田空港に到着したはずだが、連絡がとれない。息子は大丈夫なの?」という内容だった。行き先は熊本ですかと尋ねたら、「分からない」と。確かに日本はアメリカに比べてとても狭い国だけども、14日の夕方から16日の早朝の間に成田から熊本まで来たとは考えにくいのでは・・・と答えると、その母親は少し安心したようだった。

 私が住む菊池市は幸いなことに殆ど被害がなく、16日の朝9時頃から電気なども復旧されたが、Kumamoto-Iの他の編集者や管理者は避難所で待機していたので投稿はほぼ1人ですることになった。
 まず、私は菊池高校に行って職員の安否確認を手伝った。午後5時まで事務長先生と一緒に事務室に待機し、NHKのニュースをみながら携帯で最新情報を集めて英訳を発信し続けた。
 交通機関の復旧、携帯会社による無料WiFiと充電できる場所、指定と個人提供の給水所、炊き出しの場所、開いている病院、おむつや粉ミルクがもらえる場所、多言語対応可能な避難所や電話による無料通訳センター、とにかく外国人のコミュニティーに役立ちそうなものを英訳してKumamoto-IとJETのグループ両方に載せた。さらに、メッセージに対応しながら情報をさがし集めて英訳して発信した。

 18日月曜日から23日木曜日まで休校だったため、その時間を使って活動を続けた。そして、19日水曜日、福岡領事館から電話があったが、今回の内容は依頼ではなくお知らせだった。ケネディ大使が熊本を訪問されることが決まり、私に感謝状を贈りたいとのことだった。

3 現在(5月末)の状況と今後の展望
 
 今はだいぶ落ち着いてきて、投稿の内容がボランティアや復旧の話に変わってきた。1日のメッセージの数も減ってきている。
 感謝状をいただいたことがニュースになったお陰で、ある自治体が在熊外国人へのサポートを強化することに目を向けはじめたようである。
 観光客を呼ぶなら、在留外国人に税金を払ってもらうなら、災害で命を失わないようにきちんと責任をもって対応をしてほしい。例えば非常時にリアルタイムで英訳を出すことが難しいことであっても、普段から日本語も英語もできるボランティアに声をかけてパンフレットを作成したり、ホームページに載せる情報を易しい日本語で書いたり、振り仮名を付けたりすることはできるだろう。しかし、今回のことを受けて、今後は少しずつでも非常時に必要となる情報の多言語化がなされることを期待している。

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5月例会案内「熊本震災から何を学ぶか、どう対応するか」 [お知らせ・連絡]

日時:5月21日(土)14:00~16:00

テーマ
「熊本震災から何を学ぶか、どう対応するか。
 ~避難所などにおいて、高校生は、難問にどう取り組んでいったのか」

(1)高校校生が避難所でどのようにボランティアとして関わり、どのような課題を見つけ、どのように解決していったかを、熊日の記者の質問に座談会形式で答えた映像を見ます。

(2)市役所職員も学校の教職員も不在の中、大学生や高校生が初期の混乱状態の避難者を自主的に誘導し、知恵と力を合わせて立ち上げたことが判りました。またその後も、食糧がなかなか届かない中、届いた物資をみんなに行き届くように苦労した話が聴けました。

(3)避難所の運営は、そこに集まった限られたマンパワーとその知恵と技術、技能を集めて、運営をしなければいけません。
 避難所に関わることで、高校生たちは様々なことを学んだようです。まさにアクティブラーニングでした。

(4)避難所に関わった生徒、卒業した大学生、それぞれ座談会を開き、熊日の記者さんにインタビュー取材をしていただきました。
 くわしくは、17日、熊日の記事をご覧ください。 
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報告:外国人向けに避難所、給水、ライフラインの状況をSNS発信 [通信原稿]

 熊本地震を受け、菊池市在住の米国人で外国語指導助手(ALT)のサラ・ブラウンさん(27)は、会員制交流サイト(SNS)で外国人向けの情報を英語で発信し続けた。避難所、給水、ライフラインの状況…。災害時に孤立しがちな外国人の支えになろうと不眠不休で書き込んだ。

 その奮闘が評価され、熊本県を訪れた米国のキャロライン・ケネディ駐日大使から感謝状が贈られた。ブラウンさんは「クマモトの復興も発信していきたい」と誓う。

 南部ルイジアナ州出身のブラウンさんは、ALT歴5年目。4月14日の前震時、震度4を観測した菊池市の自宅にいた。「益城町 震度7」。テレビの速報に衝撃を受け、来日間もないころ、病気にかかったときの不安がよぎった。「日本語を十分に理解できず、不安な思いをしている仲間たちがいるのでは」

 自治体のホームページに満足な英語情報の提供はなく、ブラウンさんは自ら翻訳して、SNSのフェイスブックで熊本在住の外国人が情報交換するページに投稿した。16日の本震後は交通機関の情報も含め数分おきに発信。仲間とも手分けした書き込みは1日100件に及び、4千~5千人が閲覧した内容もあった。

「ボランティアをするには」「熊本に寄付したい」。反響のほか、米国在住の日系人から「親類の安否が分からない」とメッセージが届き、避難所に電話して確認したこともあったという。

 ブラウンさんの頑張りは、福岡市の米総領事館を通じてケネディ大使の耳に入り、4月29日に大使が熊本市を訪れた際に「あなたの貢献は米国民全ての励み」とたたえられた。

 ブラウンさんは「災害時、行政は多言語による情報発信を強化すべきだ」と指摘。「これからは復興の様子や、訪日客向けの観光地情報も発信したい」と決意を新たにしていた。

=2016/05/09付 西日本新聞朝刊=


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4月例会案内・報告 [お知らせ・連絡]

4月例会案内文

 熊本高生研の皆様には、大地震でそれぞれに大変な状況にあると思います。
 4月29日(金・祝日)に予定されていた研究例会の件です。
 報告者も当然、大変な状況にあり、当初予定していたメニューはできないようです。

 そこで、以下のようなメニューで、「非常時」研究例会を開きたいと思います。
 無理のない範囲での参加をよろしくお願いします。

内容:
(1)各自職場の実情、困難、対応などを出し合う。
 それぞれの職場で、どう対処していくのか、かなり混乱しているはずです。 
 こういう混乱状況だかこそ情報交流会を開く。
 避難所としての学校のようす、教員の対応、生徒のようす・不安と疲労もある。ボランティアのようすなども情報交換し合う。
 この間のことで見えてきたこと、これから必要ようなこと、特に子どもを再登校させるときの「心のケア」 などについて、考え合う。
 大震災後の今こそ知っておくべきこと、今だからこそ学べること、などを交流し合う。
 
(2)事務局会議もできる範囲で行う。


場所:熊本大学教育学部 1階1-A教室

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『遊び心でクラスいきいき! 教室の裏ワザ100連発』(おまかせHR研究会・佐藤功) [書籍紹介]

生徒を授業にノセるワザ、遅刻撃退のワザ、掃除から逃さないワザ等々、目からウロコの担任術。
ちょっとした発想で効果絶大。「へぇー」の100連発。

2章 HRで真骨頂。使える裏ワザ60連発
《学級びらきで使える裏ワザ》
41発目 クラス開きで生徒が「今度の担任は期待できるかも?」と思う裏ワザ
42発目 「仮役員」をほのぼの楽しい雰囲気で決める裏ワザ
43発目 「突然担任」を逆手にとる裏ワザ
44発目 学級委員を楽しく決める裏ワザ

《生徒に「入る」指導のための裏ワザ》
45発目 面と向かっては照れるようなことをマジにほめる裏ワザ
46発目 〈コラム3〉「ウチの担任は何でもかんでもウルサイ」とならないための裏ワザ
47発目 「教師の言うことは馬耳東風」に対抗する裏ワザ
48発目 先輩のお言葉をもらう裏ワザ

《生徒とのトラブル回避の裏ワザ》
49発目 「親にチクったやろ?」と気分悪くならない裏ワザ
50発目 生徒に殴られない裏ワザ
51発目 興奮した生徒をとにかく落ち着かせる裏ワザ
53発目 生徒からじっくり話しをきくための裏ワザ(1)(2)

《清掃・教室美化から考えてみよう……の裏ワザ》
54発目 教室そうじ、ぜったい生徒を逃がさない裏ワザ
55発目 そうじサボリを呼び出す裏ワザ
58発目 「教室をきれいに」の裏ワザ(1)(2)(3)
59発目 分別収集徹底の裏ワザ
60発目 大掃除をスムーズに行う裏ワザ
61発目 らくらく教室掲示の裏ワザ

《遅刻、早退、席替え……これぞ担任業務の醍醐味!?……の裏ワザ》
62発目 遅刻激減!の裏ワザ
63発目 「教師イジメのペナルティ」にストレスためない裏ワザ
64発目 〈コラム4〉「少しも効果のない遅刻指導」にストレスためない裏ワザ
65発目 「早退したい」に気分悪くならない裏ワザ
66発目 終礼で逃げられない裏ワザ
67発目 1日30分で学級通信を書く裏ワザ
68発目 「センセー、座席は自由にしようやー」に乗ったと見せかけて担任主導の座席指定をする裏ワザ

《保護者との関係もこれでラクラク……の裏ワザ》
70発目 ナンギな保護者と仲良くなる裏ワザ(1)(2)
71発目 PTAクラス委員をラクに決める裏ワザ
72発目 個人懇談での保護者との会話が一気に雰囲気よくなる裏ワザ
74発目 保護者懇談の時程をスムーズにする裏ワザ(1)(2)

http://www.gakuji.co.jp/book/4-7619-1012-7.html 学事出版
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白石分析:「学級びらき」を事例にして、教師の「指導」をイメージする [通信原稿]

 3月26日の研究例会は、菊池高校と大阪旭高校の交流体験、あるいは菊池川流域プロジェクトと大阪高生研のコラボ企画であった。この時に、大阪高生研の佐藤功さんに「学級びらき」の実例を演じてもらった。それは、「自己紹介ゲーム」である。以下、敬称は省略する。(白石陽一による分析)

 「学級びらき」で定番なのが自己紹介なのであるが、これは生徒にとって<恥ずかしい><めんどくさい><あきている>イベントであり、本音をいえば<してほしくない>行事でもある。では、どうするのか。自己紹介を「遊び」化してしまうのである。ゲーム感覚で、生徒を「のせてしまう」のである。

 私はこの行事の意味づけをしてみたい。
 なぜ学級開きを行うのか。なぜ学級びらきに手の込んだ配慮をこめるのか。その一般的な回答は、こうである。最初の「出会い」を大切にしたい。最初の出会いに失敗すると、後々生徒との関係を良好にしていくことに苦労するから、である。この回答それ自体に間違いはない。だが、私はこれ以上の意味を付与してみたいのである。

 まず、佐藤に演じてもらった学級びらきのゲームは、「きちんと成功する」こと、「スムーズに進行する」ことを積極的には意図していない、と私は推測する。自己紹介ゲームで、<自分の誕生月を書いてください。他の月に生まれた人にサインをもらってきてください>といっても、おもしろそうな表情をしてのってくる生徒もいれば、めんどくさそうな表情でのろのろと動くをする生徒もいる。このような生徒の反応をキャッチすることが、じつは、このイベントの眼目である。要するに、イベントを仕掛けて、生徒の反応を観察して、生徒の個性の一端を発見し、その個性に合わせて語りかける方法をさぐる、この一連の流れをイメージし展望しておくこと、これを教師の指導と呼ぶ。

 あるいは、こんな楽しい活動をしながら、ゆっくり話し合いながら暮らしていこうという教師のメッセージを間接的に届けることも狙っている。
 
 何らかの活動をとおしてしか、教師は生徒を理解することはできない。これを「関与しながらの観察」と呼ぶ。生徒理解とは、アンケートをとればできるものではない。アンケート項目が陳腐であるなら、生徒の内面や葛藤などを知ることはできない。アンケートをとっても徒労に終わることもある。安直なアンケートはアリバイづくりにしかならないし、教師を多忙においこむだけである。

 同じような意味で、活動をとおしてしか教師と生徒はつながることはできないし、生徒も成長することはできない。活動を組織しないで、言葉による説教だけで生徒を教育することができるという悪弊は、今でも教育現場に残存している。学級びらきを、教師による<熱い決意>や<真剣な話>だけにしない理由も、この点にある。それは、教師の主観的善意のおしつけになる危険があるからだ。

 いまこの問題にたちいることはできないので、一言だけ述べておく。ハラスメントとは、「善意の暴力」であり、力関係の落差に由来する「暴力」「抑圧」である。
 佐藤も、当然、このような指導のポイントを心得ているはずだ。だから、「元気に反応してくれた〇〇君には、明日の号令係りをお願いしようと思うんだけど」と、次なる一手を打つことを忘れずに紹介していたのである。この時の模擬授業では、「反応の悪い生徒に対して、どうするのか」について、佐藤の話はなかったと記憶する。

 私なら、たとえば以下のような手立てを考える。参加の態度がよろしくなくても当面は、放置しておく。休み時間に「あなたは、みんな以上に<おとな>なのかな」とか囁いてみる。いずれにしても、イベントの成功それ自体よりも、生徒と対話するための「きっかけづくり」、あるいは今後の指導を「とおしていく」一歩と位置づけることが大事である。
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