2月例会報告「平和について考える授業づくり」 [例会報告]
2月の学習会は、全国教研(新潟)で初めて報告された前田さんの授業実践でした。新潟での報告の後、佐賀で九協平和教育研究集会、そして熊本高生研と報告続きでしたが、さらに注文をつけて、「模擬授業形式でやってもらえないか?」と本番2日前に依頼しました。直接顔を見ていないのでその時の前田さんの本音はわかりませんが、快く?引き受けていただきました。
年上しかいない(参加者11人)生徒相手にやわらかな語り口で、しっかりと考えさせられる授業が始まりました。
「『平和』」の定義を理解し、当事者としての意識を持って、主体的に行動を起こす力をつけること」をねらいとして、(1)「平和」の概念のとらえ方をかえること、(2)直接的暴力がない状態である「消極的平和」と構造的暴力のない「積極的平和」をイメージさせることで、戦争体験のない生徒たちへの「人ごとでない、自分ごと」として突きつけること目的に授業が構成されている。
毎日授業をしている私が、たまに授業を受ける側になると、「授業を受けて理解するって難しいな!!」と感じる。まずねらいが難しすぎる。「平和の定義」だけで50分かかりそうだ。なおかつ「当事者意識」を持ち、「生徒が主体的に行動する」ために授業を工夫する。そのようなことができるのだろうか?
案の定、授業中でも「お構いなしの質問」が生徒から投げかけられる。これは、現場でも起こることだが、このクラス(高生研)では、授業者にとって背中に汗が流れる瞬間である。
ここで前田さんは、「平和教育を軽くやりたかったんです」。この言葉から「前田さんの想い」が参加者へ伝播していく。
18歳選挙権が始まり、「主権者教育の必要性」が謳われることで、逆に「生徒への指導」が難しくなってきている。参加者たちがそのことについて意見を出し合うと…。 「中立に指導すること」が強く求められ、見えないプレッシャーがあり、本当に伝えたいことを高校生に授業できない状況になってきている。
「だからこそ肩に力を入れずに平和学習の時間を確保する取組をしたい」
もう「模擬授業」ではなくなってきました(笑)。でもこれでいいのです。それだけ参加者が、この時間に入り込んでいるということですから。つかみはオッケーです。
1学年を対象に、アメリカの従軍カメラマンだったジョー・オダネルによる写真集「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」の中の写真「焼き場に立つ少年」を使っての授業展開です。
Q1.この写真の第一印象は
Q2.この写真は、どのような状況の下で撮られたのか、想像してみよう。
(1)いつ?
(2)どこ?
(3)この少年は何歳くらいで何をしているところ?
Q3.この写真にタイトルをつけてみよう。
別紙資料を配付し、考えさせる。
Q4.この写真についてどういう事を知った?
高校生に向けての実際の授業について質問が続く。生徒の様子、授業でのやりとりが聞き取られていく。
「平和や戦争に対する考えの違いが、参加者それぞれであること」がわかってきた。これは一般的にも言えることで、「戦争経験世代、戦争経験世代の子の世代、孫の世代、何も関わりのない世代と多くの世代が存在し、どの世代に向けてまた戦争に関するどの段階と位置づけるのかが重要であること」がわかった。
写真とは、「事実の一部」であり見たことから気づき、想像させる。感情がわき起こることで、当事者意識につながる。写真の人物を見て様々なことに気づく。
しかし、この時代の事を知らない者にとって、写真の少年の気持ちになれるのだろうかという意見が出た。
それに対して「この写真の子どもが、この日の日記を書くとしたらどう書いたと思うか想像して書いてみよう」
「この子どもに手紙を送ってみよう」そうかっ!?
なんと簡単な問いかけで、一気に考える立場や想いの移行ができるのだなと感心した。
参加者から「当事者意識を持たせるにはどうすればいいのか?」についてすっきりした回答を得た気がして、自分でも実践してみたくなった。
知識ではなく「自分がどう感じたか」に重点を置いて授業展開したので、生徒たちは自由な意見が出せたと前田さんは感想をもっている。
この後は3年生に対して行った~「囚人のディレンマ」ゲームで紛争解決の難しさを知ろう~について報告を受けた。概要説明、質問、意見、議論と大いに盛り上がり、報告者の前田さんは高揚し、それに呼応するかのように参加者も満足げであった。2時間という学習時間では足りない内容であった。
「そうだ、私たちはこのような場と時間を求めているんだ!!答えはわからなくてもいい、まずは自分が感じていることを誰かに話したいし、聞いてもらいたいのだ」と思う。
言うのは簡単で実行するのは難しい。そんなことはわかっている。
だからといって実践報告者に対して「すごいですね、大変でしたね、私もがんばります」そのような言葉をどれだけ掛け合ってもちっとも満足しない。
私たちはきっと「言い合いたいのだ」と思う。「何がどうなるのか正しいのかどうすれば良かったのか」、答えは出なくていいから、答えに向かって話し合い続けることで、自分の中に何かが芽生えたり気づいたりすることが楽しいのだと思う。わかりやすく整然とこたえを教えてもらうよりも自分で時間をかけて気づきたいのだと思う。生徒も同じで、授業で与えられることよりも「自分が調べたこと」を信じる。
最後に前田さんは「学校史を使った平和教育」に取り組みたいと言われた。自分の学校、地域、先輩の関わりをとおして身近で手軽でオリジナルで多くの先生が取り組みやすい展開にしたい。
すごいですね、「学校史」は何処の学校にもあり、それでいて同じものは無い。各学校が取り組むに値する提案を伺ったところで時間切れでした。
学習会の後に恒例となっている懇親会は、先ほどの熱も冷めず、時間いっぱい語り合った。学習会と懇親会で何が残るのか?何がわかるのか?文章にするのは難しい。初めて書く報告書は、3週間もかかった。普段、感覚で過ごしているので自分が理解したことを伝えることをしてこなかったからだ。
2月の学習会がとても良かったってことが皆さんに伝わりますように。そしてこのような学習会に参加してみたいと思う人が増えますように。(吉田真一)
年上しかいない(参加者11人)生徒相手にやわらかな語り口で、しっかりと考えさせられる授業が始まりました。
「『平和』」の定義を理解し、当事者としての意識を持って、主体的に行動を起こす力をつけること」をねらいとして、(1)「平和」の概念のとらえ方をかえること、(2)直接的暴力がない状態である「消極的平和」と構造的暴力のない「積極的平和」をイメージさせることで、戦争体験のない生徒たちへの「人ごとでない、自分ごと」として突きつけること目的に授業が構成されている。
毎日授業をしている私が、たまに授業を受ける側になると、「授業を受けて理解するって難しいな!!」と感じる。まずねらいが難しすぎる。「平和の定義」だけで50分かかりそうだ。なおかつ「当事者意識」を持ち、「生徒が主体的に行動する」ために授業を工夫する。そのようなことができるのだろうか?
案の定、授業中でも「お構いなしの質問」が生徒から投げかけられる。これは、現場でも起こることだが、このクラス(高生研)では、授業者にとって背中に汗が流れる瞬間である。
ここで前田さんは、「平和教育を軽くやりたかったんです」。この言葉から「前田さんの想い」が参加者へ伝播していく。
18歳選挙権が始まり、「主権者教育の必要性」が謳われることで、逆に「生徒への指導」が難しくなってきている。参加者たちがそのことについて意見を出し合うと…。 「中立に指導すること」が強く求められ、見えないプレッシャーがあり、本当に伝えたいことを高校生に授業できない状況になってきている。
「だからこそ肩に力を入れずに平和学習の時間を確保する取組をしたい」
もう「模擬授業」ではなくなってきました(笑)。でもこれでいいのです。それだけ参加者が、この時間に入り込んでいるということですから。つかみはオッケーです。
1学年を対象に、アメリカの従軍カメラマンだったジョー・オダネルによる写真集「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」の中の写真「焼き場に立つ少年」を使っての授業展開です。
Q1.この写真の第一印象は
Q2.この写真は、どのような状況の下で撮られたのか、想像してみよう。
(1)いつ?
(2)どこ?
(3)この少年は何歳くらいで何をしているところ?
Q3.この写真にタイトルをつけてみよう。
別紙資料を配付し、考えさせる。
Q4.この写真についてどういう事を知った?
高校生に向けての実際の授業について質問が続く。生徒の様子、授業でのやりとりが聞き取られていく。
「平和や戦争に対する考えの違いが、参加者それぞれであること」がわかってきた。これは一般的にも言えることで、「戦争経験世代、戦争経験世代の子の世代、孫の世代、何も関わりのない世代と多くの世代が存在し、どの世代に向けてまた戦争に関するどの段階と位置づけるのかが重要であること」がわかった。
写真とは、「事実の一部」であり見たことから気づき、想像させる。感情がわき起こることで、当事者意識につながる。写真の人物を見て様々なことに気づく。
しかし、この時代の事を知らない者にとって、写真の少年の気持ちになれるのだろうかという意見が出た。
それに対して「この写真の子どもが、この日の日記を書くとしたらどう書いたと思うか想像して書いてみよう」
「この子どもに手紙を送ってみよう」そうかっ!?
なんと簡単な問いかけで、一気に考える立場や想いの移行ができるのだなと感心した。
参加者から「当事者意識を持たせるにはどうすればいいのか?」についてすっきりした回答を得た気がして、自分でも実践してみたくなった。
知識ではなく「自分がどう感じたか」に重点を置いて授業展開したので、生徒たちは自由な意見が出せたと前田さんは感想をもっている。
この後は3年生に対して行った~「囚人のディレンマ」ゲームで紛争解決の難しさを知ろう~について報告を受けた。概要説明、質問、意見、議論と大いに盛り上がり、報告者の前田さんは高揚し、それに呼応するかのように参加者も満足げであった。2時間という学習時間では足りない内容であった。
「そうだ、私たちはこのような場と時間を求めているんだ!!答えはわからなくてもいい、まずは自分が感じていることを誰かに話したいし、聞いてもらいたいのだ」と思う。
言うのは簡単で実行するのは難しい。そんなことはわかっている。
だからといって実践報告者に対して「すごいですね、大変でしたね、私もがんばります」そのような言葉をどれだけ掛け合ってもちっとも満足しない。
私たちはきっと「言い合いたいのだ」と思う。「何がどうなるのか正しいのかどうすれば良かったのか」、答えは出なくていいから、答えに向かって話し合い続けることで、自分の中に何かが芽生えたり気づいたりすることが楽しいのだと思う。わかりやすく整然とこたえを教えてもらうよりも自分で時間をかけて気づきたいのだと思う。生徒も同じで、授業で与えられることよりも「自分が調べたこと」を信じる。
最後に前田さんは「学校史を使った平和教育」に取り組みたいと言われた。自分の学校、地域、先輩の関わりをとおして身近で手軽でオリジナルで多くの先生が取り組みやすい展開にしたい。
すごいですね、「学校史」は何処の学校にもあり、それでいて同じものは無い。各学校が取り組むに値する提案を伺ったところで時間切れでした。
学習会の後に恒例となっている懇親会は、先ほどの熱も冷めず、時間いっぱい語り合った。学習会と懇親会で何が残るのか?何がわかるのか?文章にするのは難しい。初めて書く報告書は、3週間もかかった。普段、感覚で過ごしているので自分が理解したことを伝えることをしてこなかったからだ。
2月の学習会がとても良かったってことが皆さんに伝わりますように。そしてこのような学習会に参加してみたいと思う人が増えますように。(吉田真一)
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